ヨガの真実



 ◎ 現代のインドヨーガは西洋体操から生まれた !?

 

  

 

 ヨーガと共に気功や武道などの東洋由来の修練も併行していた。そのせいかヨガ専一にのめりこむ人には感じにくい妙な違和感があった...

 

 その感覚は、インド発祥のヨガとはいえその内実は東洋体育の基幹、内外相合身心一体を目指す訓練ではなく、部分的外形的訓練を主体としていることに起因していた。それが明かに認識できてからは、 チャクラワークにアサナそして気功や武術の内功を導入したヨガ  " CHAKR YOGA "  を始めるに至った、西洋化されたヨーガに今一度東洋の息吹を吹き込む改革だった・・・

 
 このような疑問を詳しく検証した人がいたことを「ヨガボディ」という本を通じて知った。思い込み偏見がまかり通る世界の中で批判を畏れず真摯に学究する姿勢に感銘を覚えた。伝統とは何ぞやを考える契機となり、またヨガを愛する全ての人が参考にできる好著である

 


 

 

 「ヨガボディ: ポーズ練習の起源」 マーク・シングルトン著  またヨガジャーナルに掲載された彼の寄稿文及び「宗教研究」に掲載された現代ヨーガの系譜を以下に抜粋します

 

 

 

 


 ・ 「  ヨガの大いなる真実 」 マーク・シングルトン

 


  冬の薄日がケンブリッジ大学図書館の高い窓から差し込み、一冊の黒い革の装丁をほのかに照らしていた。私は本のページを操りながら、馴染みのあるポーズをとっている男女の写真の数々を眺めた。戦士のポーズ、ダウンドッグのポーズ、ウッティタ・ハスタ・パダングシュターサナ(手で足の親指をつかむポーズ)、次のページにはヘッドスタンド、ハンドスタンド、スプタ・ヴィラーサナ(横たわった英雄のポーズ)......あたかもアーサナのテキストに載っていそうな写真だ。だが、それはヨガの本ではなく、20世紀初頭のデンマークで生まれた体操、「プリミティブ・ジムナスティクス」についての記述だった

 

 その日の夕方、自分のヨガクラスで生徒たちの前に立ちながら、私はさっきの発見を思い返していた。いま自分が教えているヨガのポーズのほとんどが、1世紀ほど前にひとりのデンマーク体操の先生が考案したものと同じだなんて......。その人物はインドに行ったこともなければ、アーサナを習ったこともない。それなのに5秒カウントから腹部の「引き締め」、ポーズからポーズへのダイナミックなジャンプ移動まで、すべてが驚くほどヴィンヤサヨガに似ていた。それらはどれも私が知っているものばかりだ!

 

 時が過ぎても好奇心は収まらず、もっと調べてみることにした。そこでわかったのは、このデンマーク体操が19世紀にヨーロッパ人の運動法を大きく変えたスカンジナビア体操のひとつであることだった。スカンジナビア体操はヨーロッパ各地に広まり、陸海軍をはじめとして多くの学校での身体訓練の基本となった。そしてその流れはやがてインドにもたどり着く。YMCAインドの調査によれば、1920年代に「プリミティブ・ジムナスティクス」はインド亜大陸でもっとも人気のあるエクササイズのひとつで、その上をいくのがP.H.リングが開発したスウェーデン体操だったという。私はいよいよ混乱してしまった

 

 「もし日々実践しているヨガが由緒ある古代インドの伝統でないとしたら、いったい私は何をやっているのだろう?」  という疑問に突き動かされて独自の調査研究を始めた

 

 数々の文献:「ヴェーダ」「ヨガ・スートラ」「ウパニシャッド」「ヨガ・ウパニシャッド」「ゴーラクシャ・シャタカ」「ハタヨガ・プラディピカ」etc.

 

 数々の先人たち:スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、スワミ・クヴァラヤナンダ、T・クリシュナマチャリヤ、K・パタビ・ジョイス、B・K・S・アイアンガー、インドラ・デヴィ、T・K・V・デシカチャー etc.

 

 ヨガの歴史を掘り下げて調べていくうちに、パズルのピースが少しずつ埋まりはじめ、ようやく全体図が見えてきた。そして、驚くべき真実を発見した。「近代ヨガのアーサナはインド生まれではない!?」

 

 クリシュナマチャリヤはダイナミックなアーサナ練習法を考案した。それは主として、身体鍛練の時代精神に寄り添うインドの若者に向けられたものだった。クヴァラヤナンダの練習法と同じく、ハタヨガとレスリングの鍛練法と、近代ヨーロッパ体操を組み合わせたもので、それ以前のヨガの流儀には見られないものだった。こうした実験がやがていくつかの現代アーサナ練習法へとつながっていったが、中でも特筆すべきは、今日アシュタンガヨガとして知られるスタイルだ。この練習法を用いたのはクリシュナマチャリヤの豊富な指導歴の中ではごく短期間だったが、結果的にはこれがヴィンヤサ、フロー、パワーヨガなどアメリカのヨガスタイルの誕生に大きな影響を与えることになった

 

 つまり、近代ヨガとは、ヨガという大樹に新しく移植された接ぎ木にすぎないと。  ・・・ 中略 ・・・  ヨガを数多くの根や枝をもつ古代の大樹と考えることは、真の”伝統”に背くことでもなければ、ヨガと称するものをすべて無批判に受容することでもない

 

 近代ヨガにおける西洋の文化的、精神的影響を知ることで、私たちが伝統というものをどう理解し、かつ誤解するか、どんな希望や不安を抱くか、また新しい何かを生むにはいかに多くの要素が関与するかということが分かる。さらに、ヨガの練習への認識が変わり、ヨガを通して自分が何をしようとしているのか、それが自分にとってどんな意味があるかを考えるきっかけにもなる。ヨガの練習自体と同じく、こうした知識は、自分の置かれた状況や自分の本質をも明らかにしてくれる・・  (続く)


 『ヨガジャーナル日本版』vol.15(2011年1月28日発売)p.76 - p.80  特別寄稿「Yoga's Greater Truth」 ・text by Mark Singleton ・translation by Yasuko Tamako

 

 

 

 

 

 


 ・ 現代ヨーガの系譜『宗教研究』2011年3月号 伊藤雅之 愛知学院大学

 


  1990年代後半以降、身体的ポーズ(アーサナ)に力点を置いた現代ヨーガは、アメリカ、イギリスをはじめとする世界各国で流行し、現代社会に広く浸透するスピリチュアリティ文化の主要な担い手となってきている。アーサナを組み合わせた体操は、ヨーガの実践者、とりわけ熱心な実践者にとってはスピリチュアルな探求として捉えられる場合が多い。そもそも現代ヨーガは、いつ、どのように発展したのだろうか

 

 現代実践されている(ヨーガの)アーサナの大半は、十九世紀後半から二十世紀前半にかけて西洋で発展した身体文化を強調する運動に由来する。この身体文化は、キリスト教の伝導活動であるYMCAによって、またイギリス陸軍によってインドに輸出された。その後、インドの伝統武術と融合し、伝統的な「ハタ・ヨーガ」の名のもとに(を自称して)まとめられた。それが現代のアーサナの起源である

 

 つまり、今日世界的に流行しているヨーガは、『ヨーガ・スートラ』に代表される古典ヨーガや中世以降に発達した(本来の)ハタ・ヨーガとの結びつきは「極めて」弱いと言えるだろう。 現代ヨーガは、1920-30年代頃に、「現代ヨーガ」の父と呼ばれる、T・クリシュナマチャリア(1888-1989)によって行われた。彼は、西洋の身体文化から発生した数多くの体操法を自らのヨーガ・クラスにおいて積極的に採用し、それをインドの伝統的ヨーガであるハタ・ヨーガの技法として確立(自称)したのである。同時に、その理論的基盤としてヴィヴェーカーナンダをはじめとするヒンドゥー復興運動の思想および『ヨーガ・スートラ』を援用した。つまりクリシュナマチャリアによって、西洋式体操がヨーガに仕立て上げられたのである 
 

 

 

 

 

 願望熱望こうあって欲しいこうあるべきだという想いは人の眼(まなこ)を曇らせます、客観的事実が如何に明らかでも思い込みを捨てることは難しい、それは多くの事象においてあります。一つの例としてマーク・シングルトンと同様な体験をした跆拳道家の著作を紹介します

 

 正しき知識を得る事はもとより種々のマインドコントロールから脱け出すには曇りなき眼、真実を見る眼を日頃から養っておくことです、それは身心の解放、我執からの離欲、真我の探求の実践から自ずと現れるのですから …

 

 

 

◎ キム・ヨンオク(金容沃)著作  「 テコンドー哲学の構成原理 」 からの抜粋

 

 私の個人的な体験をもって話せば、私が道場に通った60年代でさえも、「テコンドー」という言葉は 青涛館を中心に固執された特殊な無理のある言葉に過ぎず、一般に広く使われた語彙は「タンス(唐手の韓国語読み)」という言葉だけであった。  ・・・ 中略 ・・・   東京留学中のある日、私はモリ(森)の動作から彼がカラテの有段者だということが分かり、彼に型をお願いした。 これはどういうことだ?  私が純粋な韓国古来の武術だと信じていたテコンドーの型(ヒョン)と日本の学生モリが行なうカラテのカタ(型)と一挙手一動作、そして進行方向と形態が完全に同じものではないか? その上、型の名前さえ、平安、鉄騎、公相君など同じものではないか? 一体これをどう説明すればよいのか? 考えてみると「館」の名前までも青涛館、松武館というのは日本の松涛館から漢字を一つずつ取ってきたものではないか? 我々のものをこいつらが習ったのか? 同時に出てきたものがこのように正確に一致しているのか?  私はその時、その瞬間、背信感と失望、私が先輩たちに完全に欺瞞されたという歪んだ憤慨でどうすることもできなかった。私はそのとき、私が朝鮮人として感じるべき主体性に対する当惑感でどうすればいいか分からなかった。  あ~そうだったんだ! 私の人生で忘れることができないその瞬間以来、私は韓国のテコンドーについての明確な認識を持つようになった。大韓民国にはテコンドーがない。我々がテコンドーと呼ぶ全ての武術の造形は完璧にメイド・イン・ジャパンである。この事実についてわずかの嘘もあり得ないのだ!

 

※ 注釈 琉球王朝時代に唐手と呼んでいたが、明治期に本土に紹介された際に禅の空から唐を空に変えて空手道と称するようになった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆ 回想と共に…

 

 

 プロレスファンがアシュタンガの太陽礼拝を見れば、アップドッグダウンドッグがプロレスのプッシュアップと同じなことに気づくでしょう、プロレスの神様カールゴッチが伝えたもので、インドのクシュティ由来でヒンドゥースクワットもその一つです。クシュティの歴史は古く、紀元前ペルシャにあった組み打ち格闘技が、アフリカからヨーロッパそして中央アジアまで広く伝播しました。トルコ相撲やセネガル相撲やクシュティもルーツは同じです。中東諸国がレスリング強国なのも似たものが地域にあったからです。クシュティは北インド中心にプロリーグもあります、これの基礎トレーニングにはヨガと共通するものがあります。また南インドの伝統武術カラリパヤットにはヴィーラバトラサナと同じポーズをとるトレーニングがあります。これらはヨガから導入されたのものでしょうか?それともヨガが導入したものでしょうか?

 

 仏陀の時代から腕を挙げ続ける片足で立ち続けるなど自らに痛みや苦しみを与える行がありました、その中には今のアサナに類する事もあったでしょう。このような苦行が時代変遷の中で、その他の身体文化(舞踊や武術)アーユルヴェーダの医療体育等と相互に影響しながらヨガとなっていった、そしてイギリス統治が始まり、西洋文化と邂逅し、現在のヨガへと繋がっていったとは考えられないでしょうか?私にはそれが自然な見方に思えます

 

 現在のヨガが他の身体文化や西洋体操に接木されたとするのは何が問題なのでしょう?例えそうでも継ぎ木して立派な花を咲かせばよいのではないでしょうか?解剖学生理学に則したエクササイズは合理性に富んでいます。ヨーガスートラやウパニシャッドは素晴らしい古代の智慧です、練習だけではなく生活全般にもその教えを大切にしている事は尊敬に値します。ヨガの信奉者の方にはそのような人もいるようです

 

 ただ熱烈なヨガ信者の方は、その純粋無雑を信じるあまり、アーサナその他の訓練には他の身体文化や西洋体操の影響はないと思いこんでいます。元々苦行としてのヨガがありその上に西洋体操などが加わったと言う説で、西洋体操にヒンディー哲理を乗っけた新造ヨガだと言ってる訳ではありません。ただ現在のアライメント重視のアサナの訓練は、西洋体操の影響は極めて強くその方向に進んでいるとは思います

 

 1980年代からヨガの実践と勉強は途切れながらも続けてましたが、ある頃から書店にヨガ関連の書籍が大量に平積みされ始めました。それはオーム真理教の本で、立ち読みで一応は目を通していたことを覚えています。購入しなかったのは、空中浮揚のデタラメな写真ほか理論もヒンディー教チベット仏教ハルマゲドン等あれこれ継ぎ接ぎだらけで、信用できなかったからです。ヨガを始めたのは故佐保田鶴治先生の講習からでした、大学教授でもあった先生の講義は学理も高く、その後の怪しいヨガが頭に入らなくなったのです。ヒンドゥー教仏教東洋哲学を深く研究された先生の教えは、実践の中にその精神性が含まれていました、日本ヨガのパイオニアとして大きな足跡を残されました

 

 麻原教祖こと松本某は、オウム神仙の会の頃は普通にヨガをやっていたようですが、付け焼刃の宗教理論と結びつきながらカルト的な思想に向かったようです。彼は自分のヨガこそが正統なヨガだと教えていました。しかし実際は、体操ヨガに怪しげなイニシエーションやチベット仏教のマントラなどを加えたものでした。ただ無知な初心者やスピリチュアルを求める人には凄いものと映ったのでしょう。地下鉄サリン等オーム事件以降ヨガのイメージが悪化し、日本のヨガは暗黒時代に入りました。この影響の残滓は今もあります。それが、ヨガ信奉者を頑なにさせているのかもしれません。ヨーガスートラウパニシャッドバガヴァット・ギータ等々その哲理に深く影響されている熱烈な信奉者には、自分たちがやっているヨガはそれらと連続したものでないといけないのです。もし西洋体操に古典思想を加えたとあっては、まさにオーム真理教のヨガと同じ線上のものになります。無自覚の中にそれへの拒否感が、新興のヨガではない、自分らのヨガは古典と結ばれてるとの意識が働き、西洋体操を導入した事実を受け入れられなくなっているのでは・・ もちろんこの拒否反応は日本に限ったことではなくインドにも欧米にもあります、特にインドはヒンディー復興運動で民族主義が強くなり、西洋の影響下にヨガがあったことは受け入れ難いものでしょう

 

 知り合いのヨガインストタクターは生徒さんから「先生はインドに行かれましたか?」とよく聞かれるそうです、その方は日本アメリカでTTCを受けられた方です、そう聞かれるとやっぱりインドに行かないといけないのかしらと思うそうです。その必要は全くないでしょう、今やヨガはグローバルなエクササイズです、世界にはインド人講師より優れた指導者はいくらもいます。運動生理学解剖学をベースにしたストレッチ軟体操にインド風味をコーティングしているものです、その理論実践を具えた教習内容であれば学ぶ国など関係ないでしょう

   

 最後にアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガは古代からあったという意見も聞いておきましょう。その起源は、リシ・ヴァマナが記した「ヨーガ・コールンタ」という古書に記載があったというものです。そのヨガ・コールンタには、ヴィンヤサ・システム、ヨーガ・シャーストラ(ヨーガ・スートラ&ヨーガ・バーシャ)、ドリシュティ、バンダ、ムドラ―が書かれていたそうです。T・クリシュナマチャリアは、インドのカルカッタ図書館にてヨーガ・コールンタを見つけましたが、現在は残っていないそうです。肝腎な事としてそれがヴィンヤサについての具体的な記述だったのでしょうか?何か抽象的なヒントになることで、それがクリシュナマチャリアにインスピレーションを与えてヴィンヤサが発案されたのでしょうか?この二つの意味するところは大きく違うと思います