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プッタパルティは、南インドにあるアーンドラ・プラデーシュ州のアナンタプール地区の小さな町、元々は辺鄙な農村であったが、サイババ教団によって建てられたアシュラムを中心に門前市として大きく発展を遂げた。一番近い主要都市は、120Km南にあるバンガロールで、バス又は鉄道で来るのが一般的である

アシュラムの正式名称は、Sri Sathya Sai Prashanti Nilayam 、「至高の平安の住まい」という意味を持つ。サティヤ・サイババは2011年4月24日に84歳でその生涯を閉じたが、その死後もアシュラムには千人以上の人々が留まり彼の教えに帰依している
アシュラムにおける修行は起きてから寝るまで、また寝ている間も修行である。そのため、衣食住すべてがアシュラム内にあり、一つの街となっている。礼拝のための大聖堂から居住棟、複数の食堂、図書館、ショッピングセンター、農園、散策の小丘、ヒンドゥー教の神々や仏像などもあり、信仰のための生活は全てこの中で成り立つ
実はインドではサイババと言えば、シルディ・サイババのことを指す、ヒンドゥーのヨギ、イスラームの修行僧ファキールで、1918年没後も多くのヒンドゥーだけでなくムスリムにも聖者として崇められている。ヒンドゥー教徒には、シルディ・サイ・ババはシヴァを始めいくつかの神様の生まれ変わりと信じられており、真の霊性の師 (satguru)として篤く信仰されている。インド国内において、サティヤ、シルディと言った固有名詞を付けずに「サイババ」というとこの人のことを意味する。サイババとは「聖なる父」と言う意味で、サイはペルシャ語で「聖者」を意味し、「ババ」 はヒンディー語で「父」を意味する
サティヤ・サイババは二人目のサイババで、シルディの生まれ変わりとされた。サティヤ・サイババ自身が14歳の時、「自分はシルディの生まれ変わりであり、神の化身である」と宣言したとされる。サイババが説法を始めるようになると、彼の行った数々の奇跡が知られるようになり、その名前は次第にインド全土に広がった。1960年代、彼が30代の頃には海外にもその名が広まり、インド人やインド系の移民を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつに至った。著名人の帰依者も多く、社会慈善事業にも熱心であったことで、インド首相らもアシュラムを訪問するようになり、国家級の重要人物となった。彼の死は多くの国民を悲しませ、その葬儀はガンジー以来の国葬となったほどだ
90年代に入ると、奇跡かマジックかと面白おかしく日本のテレビでも取り上げられていた。私自身も98年の初訪時には、有名人をチョット見に来たという程度のものだった。初めてババの姿をダルシャンで見た時には、頭が大きく手足が長い人だなぁ~という印象しかなく、周囲の熱狂をただ傍観していた。しかし2日3日と経つうちに、ここは祈りの場、サンクチュアリであり、霊性修養を求める人が集い、清明なる空気感に満たされていることに気づき始めた。サットサングでの学びや交流は有徳なサーダナである、その後も再訪を繰り返す度にババの霊性の高さ教えの尊さを確実に感得することになった
ババは奇跡を起こせる神の化身と信じられていた。手から白い粉(ビブーティと呼ばれる聖灰)を出したり、空中から首飾りや指輪、小さな神像を取り出すことができたという。私もそれを目撃しようとダルシャンでは目を凝らしてその姿を追った。結局は見ることができなかったが、ババから授かったという人からその聖灰を貰った、今でもそれを大切に持っている

◎ アクセス
バンガロールシティ駅前のマジェスティックバスターミナルのターミナル3からKSRTCの直通バスがあり、料金は165R、3時間ほどで到着。
Sri Sathya Sai Prashanti Nilayam 通称SSPN駅から乗り合いバンで20分ほど料金は10R、公営バスもあるが料金は同じ

・ 鉄道列車の時刻
▼ From SSPN To Bangalore
Train No 11301 Udyan Ex 04:35発 08:50着 / No 18463 Prasanthi Ex 08:00発 12:05着 / No 12628 KK Ex 09:55発 14:00着 / No 11013 Kurla Ex 17:10発 22:10着 / No 56504 Guntur Pass 12:10発 16:46着 / No 17663 Yeswanthpur 06:35発 運行停止中?
▼ From SSPN To ~
To New Delhi No 12627 KK Ex 22:10発 明後日10:30着 / To Bhuvaneswar No 18464 Prasanthi Ex 17:15発 翌日21:05着 / To Mumbai No 11302 Udyan Ex 23:17発 翌日20:15着 / To Chennai No 12692 Chennai Ex 18:30発 翌日05:15着
▼ From ~ To SSPN
No11301 Udyan Ex CSMT➤SBC ムンバイ08:10発 SSPN04:33着 / No18463 Prasanthi Ex BBS➤SBC ブバネシュワル05:30発 SSPN07:58着 / No12691 SSPN Ex MAS ➤ SSPN チェンナイ 23:30発 SSPN09:30着
※ 詳しい時刻表はIRCTCのwebで調べてください https://www.irctc.co.in/ 駅名コードは、MYSORE情報を参照ください

◎ アシュラムの施設
アシュラムのメインゲートはガネーシャ門 OPEN 朝4:30 CLOSE 晩9:30 以降は何人たりとも出入りはできない
・ Sai Kuwant Hall 大聖堂
礼拝のメインホールで、セキュリティチェックは空港並み、持って入れない物は細かく規定されている。刃物類、カメラ、スマホ携帯、レコーダー、電子機器類、双眼鏡、ペットボトル、ボールペン、マッチライター、煙草、傘、バックカバン・・ つまりは衣服以外は全てで手ぶらでないと入れない 朝の開場 7:45-10:30 昼の開場 15:45-19:00
・ Mandir 小聖堂 4:30-7:20
・ 宿泊房
宿泊の受け付けカウンターはNorth.9にあり、5:30-20:00まで、申し込み用紙、パスポート、写真(2枚)を提出して奥の窓口で宿泊料を支払う
宗教慣習に則りあらゆる施設は男女別である。大聖堂ホール宿舎レストランも全て男女のエリアが厳格に分けられる。但し、宿舎のみ夫婦親子など家族であることが証明できれば同室が許される。2人部屋で250R~から、ドミトリーは一泊20R、男女別に加えインド人と外国人に分けられる。体育館のような超巨大なホールに二段ベッド、3-400人は泊まれるが、シーズンオフであれば数十人でちょっとさみしいくらい広々と使える。トイレシャワー室には洗濯部屋がある、もちろん洗濯機はなく石台にバシバシ叩いて汚れを落とす伝統スタイルである
・ レストラン
CANTEEN と呼ばれるレストランは3ヶ所ある。全てベジタリアンメニューである。軽食スタンドやティ―ショップも数ヶ所ある
南インドレストラン 朝食6:30-8:30 昼食11:00-13:30 ティ―タイム15:30-17:00 夕食18:30-20:30 ヴァーダやプリーなどの軽食、チャイコーヒーミルクなどの飲物 昼には10Rのミールスがあるが、具はなくスープカレーのようなものでご飯はいくらでも食べれるので栄養バランスは悪いがお腹は一杯にはなる。支払いは全てチケットで向かいにあるチケットカウンターで事前に購入する
北インドレストラン 昼食11:00-13:30 夕食18:30-20:30 バイキング方式でチャパティやライス、好きなおかずを自分で皿に盛り会計する。30-60Rもあれば十分満足できる種類量は食べれる
ウエスタンレストラン 朝食7:30-9:00 昼飯9:30-10:30 夕飯18:30-20:30 パスタやピザなどの洋食とフルーツ、デザートにはケーキもあるが、もちろん全てベジタリアン料理である。60-100Rで満腹、支払いは現金をチャージしたカードを使う
・ ショッピングセンター 女性 9:30-11:30 男性 15:00-17:00
食料品から日用品、衣類まで品数は豊富 アシュラムで推奨される白のクルター、ドミトリーに必須の蚊帳、ベッドシーツも購入できる。生鮮野菜果物もある
・ 図書館及び書店 9:30-12:00 15:00-17:00 書店は別に数ヶ所あり営業時間はそれぞれ異なる
図書館にはババの教えが記された日本語訳の書籍が多くあり、静かな館内でじっくりと読み込むことができる
・ 銀行 9:00-12:00 15:00-18:00(土日除く)
・ 浄水器 各セクションに設置されている ただ水道水とほとんど変わりないので、飲み水は外部のウオーターサーバショップで買っていた
・ 鉄道チケットカウンター これはバスターミナルに附設されている (画像参照) 8:00-12:00 15:00-17:00


◎ 日々の行事
Mandir Schdule 5:10 チャンティング 5:40 ベーダチャント 6:25-7:20 プージャ
大聖堂礼拝 8:00 ベーダチャント 9:00 パジャン 9:30-10:30 ダルシャン ベーダ 16:30 パジャン 17:15 ダルシャン 18:00-19:00
バジャンとは神への讃歌であり、語源はサンスクリット語でバ(BHA)は神、ジャン(JAN)は人を意味する。ダルシャンは偉人や聖者に会って精神の高揚を得たり、祝福を受ける機会のことで、サイババ存命中、午前と午後の2回帰依者に姿を見せてダルシャンを与え、手紙を受け取ったり、ときにはビブーティ(神聖灰)を物質化して与えていた。このダルシャンによって、ババは帰依者に限りない愛を注ぎ、帰依者を慰め、癒し、霊的に高揚させた、アシュラム行事の中で最も重要なものである。現在はその亡骸を納めた柩の周りを歩くことがそのクライマックスになっている
98年ババ存命時には帰依者の熱狂興奮高揚は凄まじいものがあったが、彼の死後その熱気は少しずつ冷めていき、2016年の時は人数も半減、高揚感もなくその遺徳を偲ぶ様子に様変わりしていた・・

◎ アシュラムでの生活
基本ルールさえ守っていれば概ね自由である。アシュラム全てが聖なる信仰の場、ホール食堂宿舎道端であっても騒がしい行動は一切許されない。活発な運動、大きな声で騒ぐ、走ったりバタバタした慌てた行動をしてはならない、歌舞音楽もダメである、常に穏やかに、「静寂」を守らねばいけない。衣服は上下とも白が推奨される、なければ色物でもよいが半パンタンクトップなど肌の露出があるものは不可である、宿舎内ではこの限りではない。それと男女が常に離れていること、異性同士では道端で立ち話をすることもいけない。挨拶は、ハローでもナマステでもない、全てサイラム ( OM SRI SAI RAM ) で事足りる。また猿が窓から侵入し、食べ物を盗っていくことがあるので要注意
礼拝儀式は、全て自由に自分の都合で参加できる。熱心な人は早朝から夕刻までの一連の行事に不断なく参加する、ただそんな熱烈な帰依者もババ没後は少なくなり、自分の行きたい時間に適宜参加する人がほとんどである
自身は、最初のうちはベーダチャントやバジャンは時折、ダルシャンには午前だけに参加する位で、ほとんどの時間は自分の修行と勉強に費やした。バジャンダルシャンは題目念仏のように精神の高揚をもたらしてくれるが、合唱の中で自分が正しくチャントできているかわからない。以前ヨガのグルジよりマントラを習った際に、発音発声を正しくと直されたことがあるので、直伝を受けてない詠唱には消極的であったが、後に神の御名を唱える行いそのものが意味はあると思い直され、時間の許す限りは参加するようになった。その他の時間は瞑想や站椿等の修練とSEVA(食堂の皿洗い等)に費やした
早朝 - チャクラワーク 午前 - 站椿など静練功 バジャン or ダルシャン 午後 - 図書館で勉強及びSEVA 夕刻 - 秘密の場で武術練習 晩 - 瞑想 ルーティンの一例はこんな具合だが、ドミトリー内で具合の悪い人に施術をするのがSEVA奉仕の功徳を積む良い修行になっていた。武術の練習は人目につかないよう誰も来ない秘密の場所で行っていた


◎ アシュラム外の施設
・ 病院 受付時間 一般病棟 8:00-12:00 14:00-16:00 特別病棟 12:00-14:00
・ プラレタリウム 開場10:00 曜日により説明言語が異なる 土曜:英語 日曜:テルグ語 火木曜:ヒンディー語 月水金休み
・ 美術館 入場 女性 10:00-11:00 男性 15:00-17:00
・ スポーツスタジアム 10:00-13:30








◎ プッタパルティの街並み
アシュラム周辺は、門前市をなしている。土産物店、レストラン、ホテル、ゲストハウス、衣料品及び食料品店、スーパー ... など そしてアシュラムから放射線状に民家やアパートが立ち並ぶ。郊外には田畑があるが多くはない、荒れ地で作物が育ちにくいのであろうか、幹線沿いには高級コンドミニアムがある。アシュラムにずっといては煮詰まるので、よく散策にでたが、2-3キロ歩けば民家もなくなり、何にもない野原が荒涼と広がっている。大きな川もあるが、水は干上がり風が吹けば砂埃が舞う、橋の下はゴミ捨て場となり、豚が食べ物を漁っていた。人影がなくなるところまで歩いては站椿を打つのが散歩のルーティンであった・・
※ この記事の情報は、1998年から2016年時のものです、諸物価は今現在のものとは異なっているかと思われます
Sri Sathya Sai Prashanti Nilayam の公式ホームページ Sri Sathya Sai International Organization https://www.sathyasai.org/
プッタパルティ 街の風景

◎ サティヤ・サイババの教え
・ 自由とは、外的なものに依存せずにいること、他者、事物、あるいは状況の助けを必要とする人は、それらの奴隷となります。完全な自由は地上の誰にも与えられていません。なぜならこの世における人生の意味自体が、他者と互いに関わり合い、依存しあうことにあるから。必要とするものの数が少なくなればなるほど、自由は大きなものとなります、完全なる自由とは完全なる無欲の状態のことです。所有すればするほど、とらわれてしまうのです。より少なく所有すれば、より自由でいられます
・ ビジネスにおいて、金銭のことばかり考えては欠陥が伴います。一番の重要性は文化に置かなければなりません。文化と共に、国(社会)の利益にも高い優先順位が与えられるべきです。真のビジネスとは、文化と国の両方を考慮に入れているものです
・ 執着と嫌悪の感情は心(マインド)を汚しますが、そのような心も奉仕を通して清められます。日に何度か沐浴(もくよく)をしたり、全身にヴィブーティ〔神聖灰〕を塗りつけたり、機械的にマントラを唱えたり、といった外的な習慣は、不純な心を清めるには役に立たないでしょう。そういったことは外側の見世物にすぎず、少しも霊的ではありません。奉仕(SEVA)こそ、最高の霊性修行(SADHANA)です

・ 社会に奉仕ができるあらゆる機会を逃さないようにしなさい。奉仕を個人に限定する必要はありません。国に奉仕するのは大切なことです。奉仕活動は、それぞれの地域の必要を満たし、問題を解決するものでなくてはなりません。どれほど小さな奉仕であろうとも、自意識を持たずに正しい精神で行うなら、それは立派な、価値のあることを行っているのです。奉仕の行為それ自体は小さなものでかまいません
・ 瞑想とは、欲望を超越すること以外の何ものでもありません。無執着とは、邪悪なるものと闘う力であり、想念を抑える力のことなのです。真理が存在するのは思考が全面的に止んだときだけです
・ 肉体への執着が増えると、心配もまた増えます。これに基づいて「荷物を少なくしなさい。そうすれば心地よい旅ができる」と言うのです。ヴェーダーンタでは、これを「放棄」と呼んでいます。放棄とは、家庭を捨てて森に行くという意味ではありません。放棄とは、万物が一体であることを体験するという意味です
・(アフリカの貧しい国でボランティアをしたいと語る日本人に向かって)日本人は他国のことよりも、インドのことよりも、日本のなかで貧しい人々困ってる人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず身近なところから始まります
・ 心の中のすべての欲望をすぐに取り除くことなどできません。それゆえ人は、ヴェーダに定められている「一つの欲望」を抱くべきなのです。ヴェーダは人間に、ダルマ、アルタ(富)、カーマ(欲望)、モークシャ(解脱)という四つの目標を定めています。最初のダルマと最後の解脱は、感覚的な悦楽への執着を捨てるか、それを遮断してしまわない限り手に入れるのは困難です。そのため人間は、この二つを実現不可能なものとしてあきらめてしまい、いたる所で富と欲望という中間の目的のために苦闘しているのです。人生におけるあらゆる恐れと窮状は、元をたどればこのたいへんな過ちのゆえです。しなければならないのは、この四つの目的を、「ダルマと富」そして「欲望と解脱」という二つの不可分の組み合わせとしてとらえることです。つまり言い換えるなら、ダルマを貫いて富を得てその富を正義の振興のために使うこと、そして、解脱を唯一の望みとすることです

・ 真理が実践されるとき、それは正義になります。真理は言葉で表現され、正義は行動で表現されます。これに基づいて、ヴェーダは「サティヤム ヴァダ、ダルマム チャラ」(真理を語り、正義を行いなさい)と教えました。それゆえ、正義は真理に基づいています。真理がなければ、正義はありません。これこそヴェーダが「サティヤナースティ パロー ダルマハ」(真理に従うよりも高遠なダルマはない)と説く理由なのです。真理という土台がなければ、正義という家を建てることはできません。サティヤ チャーラナ(真理の実践)が真のダルマです。このダルマは全人類に共通しています
・ ヴェーダンタにはこう宣言されています。「動かない者はまた、動く者でもある」 この意味は、神は動かないものでもあり、動くものでもあるということです。どのようにして、動かないものが動くものとして描写されるのでしょうか?また、どのようにして動くものが動かないものとして描写されるのでしょうか? 「神は不動であるが、神は動いている」というこの言明には明らかな矛盾があります。これに対してヴェーダンタはすばらしい説明を加えています。夢見の状態では、自分自身があらゆる種類の動作を体験します。しかし、夢の中では動いているように見える身体も、実際はベッドの上で動くことなく横たわっています。物質としての身体は動いていません。夢の中の身体は動いています。どちらの身体も同じ一つのものです。身体は、ある意識状態においては静止しており、別の状態においては動いています。 ヴェーダンタは、物質的な状態には動きがあり、霊的な状態には安定した不変性があると宣言しています。したがって、瞑想の目的は安定した不動の霊的状態に到達することにあります
・ 感覚の制御を伴わないサーダナは無益である。それは水漏れする壷に水を注ぎ続けるようなものだ。*パタンジャリは、舌を制すれば勝利はあなたのものであると言った。話は最小限にしなさい。話し過ぎると、真理から遠ざかる。このため太古の人々は、『少なく話し、多く働く』を実践していたのだ。あなたの言葉と行いにおいて最も欠かすことのできない底流は愛だ。愛をもって話すことがサティヤ(真理、誠実)であり、愛をもって行うことがダルマ(本分、正義)である。このことがあなたに平安をもたらすのである。喋りすぎも避けなさい。なぜなら喋りすぎるとエネルギーを消耗するからだ。エネルギーの消耗が原因で衰弱すると、人は怒りっぽくなり、憎悪を抱くようになる。それゆえあなたは神が与えてくれたエネルギー(シャクティ)を良い目的のために使わねばならない。エネルギーは神からの贈り物である。必要ない会話を減らして、黙っていることでエネルギーを温存することができる。『話を減らして多く働く』。これが身につけるべき黄金律である。深い沈黙の中でのみ、神の声は聞かれ得る。あなたがたが静かにしていれば、その沈黙自体が神である *『ヨーガスートラ』を著した聖者
・ 両親は子供たちを適切に育てる主要な責任を担わねばならない。幼年時代は最も重要である。将来に影響を及ぼす技能、姿勢、感情、衝動は人生の基礎としてこの数年間に組みこまれる。その基礎を強く真っすぐにする手助けをするか、邪魔をするかは親次第なのだ。だが現在、親たちにはこの基本的な役割を果たすための知識が無い。彼らは太古から続く自分たちの文化を信頼しておらず、子供たちが親から吸収できるような心の平安や霊性(修行)を、親自身も持ち合わせていないのだ。両親が祖父母を敬い、年長者に奉仕することを幸せに思う家庭で子供たちは成長しなければならない。このことは説教ではなく手本によって子供たちに教えなさい。あなたが行いうる最悪のことは、自ら説教することと反対のことを行うこと、あなたの口が語ることを、その手が否定することだ。自ら宣言した通りに生きられないなら黙っていなさい。助言を広めてはならない。さもなければあなたが実行していることは自分が偽善者であることを自ら宣伝していることになるからだ。行いにおいてダルマ(本分)を否定している限りはダルマを唱道してはいけない。ダルマは一定不変である。それは決して衰えない。ダルマを実践しなければならない人々の信仰心と不動心が衰えている、ということが起きている。全ての人はその言葉ではなく行いによって判断される。種はゆっくりと成長して、枝を広げる巨大な木となる。同様に、ささやかな行い、優しい言葉、親切な行いを通じて、人は自らを神へと高めるのだ
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