column10 2021


 

2021.05.09

 

 

 

 

★ アシュタンガペガを始めそしお止めた蚳・・ 前線

 

 

 

 ヒマラダ山麓ガンゎトリにお摩蚶䞍思議なサドゥヌペギから䌝えられしチャクラ(瞑想)ワヌク、今思えば䞍思議な瞁で導かれるような出䌚いだった。初芋には攟浪僧の気たぐれで*珍劙な倖囜人に自らの技を披露したかったのだず思ったが、数日共にワヌクする䞭でこれたで孊んだ蛹動功や站怿ず同質のものであるこずに気づき、もしかしお最初からそれを芋抜いお声を掛けおきたのではなかろうかずも感じた

  

 *  りッタルカシからの悪路移動で、バキバキに匷匵ったカラダをほぐすため揺らぎの操法や逊生怿を河岞でやっおいたのをサドゥヌペギが芋おいた・・ これが出䌚いのきっかけだった。。

 

 

 濃密な日々はたたたく間に過ぎお行く、別れの日は突然蚪れた、六日目の朝に「明日未明に出立する、これが最埌のワヌクである」ず告げられた。薄々感づいおはいたが、匷い惜別の感情がこみ䞊げ、䞀所䞍圚でもう䌚えないであろうサドゥババに、共にカむラス巡拝に行きたいず蚀うず柄んだ瞳でじっず芋぀められお、危険な山岳高所なので無理だず告げられた。これたで葉っぱモクモクで瞑想ぶっおるのがサドゥヌ、麓の集萜を呚るくらいだろうず穿った芋方をしおいたが、本圓の修行者もいるのだず知った

 

 仏教、ヒンドゥヌ教、ゞャむナ教、ボン教の聖地で、タルチェンずいう集萜を起点にカむラス山の麓を回る䞀呚52キロ、急な登り降りの連なる瓊瀫の道、途䞭には、色ずりどりのタルチョヌ(祈犱旗)がはためく石塚や、仏塔、仏足石、力尜きお倒れた巡瀌のための鳥葬堎などがある。その巡瀌路はチベットネパヌルむンドの境界で䞭囜が軍事埁圧しおおり、巡瀌者は入れるが、倖囜人は䞭囜政府の蚱可蚌がないず難しいずのこず・・ 本来はチベット領土だったが、䞭囜に歊力で奪い取られた。パンダも同じくその生息地はチベット、い぀の間にか䞭囜を代衚する動物になっおいる、パンダ奜きの日本人はこの事を知っおいるのだろうか・・

 

 

 このワヌクはあれこれアヌサナがあるわけではない、瞑想ず䞀䜓化したワヌクはシンプルで奥深い、芁領を把握した埌は只管実践であるずはわかっおいおも垫に随した時間は少なく、これだけに専念するにはただただ経隓が足りないず感じた。その埌リシケシに戻り、同系のペガを探しアシュラムを蚪ね歩いたが、䞀般のハタペヌガばかりで䜕ら手掛かりを芋぀けるこずはできなかった。あれはババのオリゞナルだったのか?たあむンドは広しいろんな地域で探せばよかろうずその埌も旅を続けた。地域によっお文化蚀語も違うむンドだからこそ倚様なスタむルのペヌガや独自色の匷い個性掟ペギに出䌚える、このチャンスを生かしお知識芋聞を広げようず東西南北瞊暪断し、宿に着く床にマネヌゞャヌにこの蟺りにペガのアシュラムはあるか?グルを知っおいるか?ず尋ねるのが垞ずなった。そんな頃プリヌの宿に、ドむツ人の女性が蚪ねおきお「ペガの先生を探しおいるのなら玹介する」ず蚀っおきた

 

 圌女はルむヌサ、ペガのむンストタクタヌでスキルアップのためむンドに来たずのこず・・ ここでペガの個人レッスンを受けおおり、䞀床それに参加させおもらえるこずになった。それをきっかけに圌女が倪極拳や合気道に興味があるずのこずで、圌女からペガを歀方が倪極拳や柔術を教える亀換緎習をするこずになった。その䞭で孊んだばかりのチャクラワヌクも緎習に取り䞊げたずころ、圌女からずおもナニヌクだけど䞀般的ずは蚀えないわねず玠盎な感想を聞かされた

 

「私はむンストタクタヌずしお、メゞャヌなスタむル、アシュタンガのようなグロヌバルスタンダヌドずなるペガをやっおいく぀もりよ」ずの話だった。アシュタンガ?? 初めお聞く名前で詳しく聞くず珟圚ペヌロッパで、フィットネスずしお人気が高たっおいるスタむルだずのこず。ロンリヌプラネットの南むンドマむ゜ヌルのペヌゞを開いおここよず教えられた。チャクラワヌクずは真逆のスタむルのようだが、メゞャヌずかグロヌバルずかの蚀葉に心が揺さぶられた。経隓者の圌女からスヌリダナマスカヌラからノィンダサそしお連続するアヌサナを孊んだのだが、今たでやっおいたハタペヌガずは違ったダむナミックで゚ネルギッシュなスタむルに驚かされた。心肺機胜も䜿うので歊術やスポヌツのトレヌニングに良いず思われた。はっきりず決めたわけではなかったが、い぀の日かペガの教宀を開くかも・・ずいう想いが少し芜生えおいた。教宀を始めるなら䞖界で䞻流ずなるスタむルがいいにきたっおいる。この先最南端カヌニャクマリたで行く蚈画だったので途䞭マむ゜ヌルに寄り、条件が合えばチャレンゞしおみようかずいう気になった

 

 

 

 

 ロンリヌプラネットむンド版にはマむ゜ヌルのアシュタンガペガ道堎が2ヶ所茉っおいた。ルむヌサに薊められたのは垂郊倖ゎクラムにある方で、䞖界的に有名なSK.バタビゞョむスの道堎であった。この時はむンタヌネットもなく、旅の情報は口コミに䟝る時代だったので、䞋調べもアポもなく行き圓たりばったりで道堎に向かった。垂バスに乗っお20分ほどの閑静な䜏宅地、ひずきわ倧きな邞宅が道堎になっおいた。呌び鈎を抌すず癜人の男性が珟れ、来意を告げるず恰幅のいいドヌティを着けた長老が奥の郚屋から珟れた、圌がバタビゞョむスで、誰の玹介か?経隓の有無?滞圚期間は?を聞かれた。問答の埌、経隓が足りないから難しいが、シヌク゚ンスの順序を芚えおいるなら参加を認める、滞圚䞭のルヌルや斜蚭に぀いおは圌に聞きなさいず蚀っお足早に去っお行った。案内をしおくれたのはむギリス人の青幎で、グルゞは先客の応接で忙しい、今は生埒も少なく初心者ばかりだから蚱しおもらえたんだ、君は運がいいねず蚀っお泚意事項の説明を始めた。最埌に費甚を聞いたのだが、聞き違えたのかず思ったくらい法倖な金額であった。むンドの物䟡ではあり埗ない額で、日本の専門孊校ずしおも高い方だ。生埒は倖囜人ばかりでむンド人がいない理由がわかった。ずにかく懐具合ず盞談しないずいけないので、入䌚手続きはせずに垰宿した。

 

 翌朝、もう䞀カ所の道堎に行った、そこは垂内のゞャガンモヌハン矎術通の偎にあり、宿からも歩いおいけた。叀びた寺院の階、暗くお埃っぜいむンドらしい枅朔感からほど遠い道堎である。指導者のBNS.アむ゚ンガヌは小倪りのオゞサンずいう颚情で、運動量あるアシュタンガだが教垫は皆ぜっちゃりだな~ず思いながら話を聞くず内容は同じでレッスン料は䞀般的には高いが、ゎクラムよりも䜕倍も安いので歀方に決めるこずにした。ここは珟地の人も通う道堎なのだが、むンド人は倧広間で、倖囜人は狭く汚い物眮郚屋ず別れお緎習させられ、䞔぀料金はむンド人の3倍だった

 

 

 ペガ道堎の朝は早い、5時に開堎8時半頃閉堎、倪陜瀌拝から立䜍、座䜍、逆転、フィニッシングたで、呌吞ず動きを連ねお展開するシヌク゚ンスを自分のペヌスで行う、同時刻に集たり䞀斉に行うものではない、い぀始めおい぀終わるかは自分次第である。生埒各䜍のポヌズのアラむメントをアゞャストするこずが教導の党おであった。バタビゞョむスはこれが厳しいず聞いおいたが、アむ゚ンガヌはさほどでもなく、匷いアゞャストには抵抗感があったので幞いだった。その埌シンガポヌルやバンコクでゎクラム系のアシュタンガのレッスンを受けた時、䞊達には匷めのアゞャストが必芁、バタビゞョむスの匟子は豊富な経隓ずアナトミヌの知識もあるから倧䞈倫ず蚀われおグむグむず抌された。アシュタンガの䞖界では、ゎクラムが1軍ずすればゞャガンモヌハンは2軍ずいったずころなのだろう。確かに医孊的な知識があれば、安党性は高たるが、人間の身䜓は教科曞の知識だけではわからない埮劙な特性が人毎にあるので、初芋では匷いアゞャストは避けるべしず考えおいた

 

 マむ゜ヌルのこの2ヶ所のアシュタンガには少し違いがある、緎習前埌の祈りのマントラの文蚀が違う。アサナの皮類順番は同じだが、仰向けで脚を肩に担ぐスプタ゚カパヌダサヌナだけはゎクラムのプラむマリヌにはなかった。党郚を通しでやるず80分ほどかかるが、埌半バテながらも最埌たでやり切るず凄い達成感が感じられる。できなかったアサナが少しず぀できるようになるず自信にも぀ながる。目暙を蚭定し努力する自分に陶酔する芁玠がありこれははたりやすい、䞖界でなぜ人気が高たっおいるのかわかった気がした。その反面ペガずは䜓操なのかずいう以前からの疑問が益々匷くなっおいった。チャクラワヌクでは、アサナは瞑想ぞの導入剀で、動から静ぞ内偎に朜行する道暙ずしお掻かされる、よっおアクロバティックなポヌズは特に意味がないずされる。ただ難易床の高いアサナを攻略する面癜さもあり、瞑想はチャクラワヌクず站怿で導けばよいし、アシュタンガはフィゞカルワヌクずしお割り切っおやればよいず考えた

 

 『 アシュタンガペガは叀兞の理論ず実践を兌ね備えおいる。サンスクリット語で「八本の枝(八支則)」(アシュト/Ashto=八、アンガ/anga=枝)ずいう意味だ。八支則はペガの根底で、玀元前より口承で継がれおきたものを聖者パタンゞャリが、『ペガ・スヌトラ』ずいう教兞でたずめた。ダマ(Yama/犁戒)ニダマ(Niyama/勧戒)アサナ(Asana/坐法)プラヌナダヌマ(Pranayama/呌吞)プラティダヌハヌラ(Pratyahara/感芚の制埡)ダヌラナ(Dharana/集侭)ディダヌナ(Dhyana/瞑想)サマヌディ(Samadi/䞉昧)これらを実践する。シヌク゚ンスの緎習に献身的に励み、生掻の䞭でダマ、ニダマを意識した行いをするこずで感芚は研ぎすたされ、集䞭力は高たり、深い瞑想ぞ導かれ、至犏の境地に達する。心身の健康を高め、自己実珟ぞの道に倧きな実りをもたらすずいうのがこのペガの教えだ! ただの蚓緎ずは䜕事か!? 』 ず叱られおしたいそうだが、アヌサナに偏重しおいる事は間違いない

 

 そもそもペヌガスヌトラ2ç« 46句アサナの定矩ずしお <アサナは安定しおいお、か぀ゆったりしたものでなければならない> ずある。ペヌガスヌトラ経兞の泚釈には、さたざたな座り方が解説されおいる。ここで蚀うアサナずは安定しリラックスした坐法で、珟圚のストレッチポヌズではない。自然ず共に生きおいた叀代の人には、珟代のような䜓を曲げたり䌞ばしたりする䜓操は䞍芁だったようで、それらぞの蚀及はない。䜓を動かすペガは、静止しやすいように筋肉の緊匵や身䜓の歪みを解き、座ったずきにバランスがずりやすいようにするためずも解釈できる。確かにサドゥヌペギから孊んだチャクラワヌクでは背骚のバランスを取り戻しながら瞑想に入っおいく。叀代のアサナずは単なる運動ではなく安静の坐法だったのかもしれない・・   

 

 

 

 

  瞑想に至る道は叀代からいろんな手法が詊されおいたのだろう。䟋えば動法䞻䜓のアシュタンガでも瞑想ぞの導きが党くないわけではない。プラむマリヌシリヌズ完遂埌は疲劎も半端なく䜓力集䞭力も削られる。シャバアサナでリラックスし気持ちが萜ち着くず坐法に入るだけで静謐な無空に包たれる、䞀瞬の䞉昧、汗が匕き始める極々短い時間だが、雑念が払われ脳がクリアな状態ず成る。シヌク゚ンスをやり切った安堵感に達成感、疲劎困憊にしお䜙蚈な事を考える隙間を䞎えないようにするのがアシュタンガの瞑想テクニックなのだろうか・・

 

 ガンガ女神の化身である聖なる川、汚物が浮き茶色く濁った川面に遺灰や*遺骞さえもが流される、その傍らで沐济祈りを捧げる光景は西掋合理䞻矩ず真反察の東掋の神秘を感じる。むンドの宗教は明らかに東掋颚だが、文化的偎面は以倖にも西掋芁玠が倚い。むンド映画に登堎するヒヌロヌの特城が、ランボヌやタヌミネヌタヌばりの筋肉隆々のマッチョばかり、小さな町にも必ずボディビルのゞムがある。小兵の牛若䞞が巚挢の匁慶を倒すずか飄々ずした爺が実は酔拳の達人だずか東掋には「柔よく剛を制す」、粟劙さがパワヌを凌ぐずいう神話その感性があるが、むンドにこれがない、匷さ=筋力ずいう単玔な考えが支配する。むンドの䌝統歊術においおも、クシュティでもカラリパダットでも䜓力筋力ベヌスで、内功芁玠は埮塵もない、ムキムキ筋肉の䜓躯があっおの技である。螊りや芞胜の身䜓操䜜も日本は沈み蟌むが西掋は䌞び䞊がる、むンド舞螊は流掟による違いが倧きいがステップからみおも掋舞に近い印象がある。䌝統の身䜓文化がそうなのだから、西掋の倖圢䞻䜓の䜓操でも案倖すんなり受け入れられたのだず思う

 

*  子䟛や未婚の女性、感染症患者、ヘビの毒牙で亡くなった人に぀いおは、火葬せず氎葬する 「ゞャル・プラノァ」 ず呌ばれる儀匏がある

 

 

 むンドの身䜓文化はブッダの頃からのペヌガ苊行ず䌝統歊術が盞互に織りなし発展しおいった。それは肉䜓(臭皮袋)から解脱するため身䜓を痛め぀ける修行で、その䞭には今のアヌサナに類するものもあっただろう、今のペガも叀代の修行ず繋がっおいる、だからずいっお䜕の倉化もなかったわけではない。瀟䌚が倉革すれば、文化もその圱響から逃れられない。ペガもたた然り、英囜統治による圱響はクリケットだけではなかろう。スヌリダナマスカラはペガ起源ずは断定できない、䌌たものがクシュティやカラリにもある、近代に入り軍隊の蚓緎に䌝統歊術ず西掋䜓操が取り入れられたが、その䞭で倪陜瀌拝ずいう蚓緎が生たれおきたずも仮定される。ペガ信者はペガの玔粋性を盲信しおるが、むンドのペガ以倖の身䜓文化にも目を向けおほしい。文化人類孊ずしおの科孊的な研究が進めば、䌝統歊術や舞螊そしお西掋䜓操に圱響されたのが、ペガのアヌサナであるこずが蚌明される日が来るやもしれない       

 

 

 

~  埌線に続く  ~