column11 2021


 

2021.5.28

 

 

 

★ アシュタンガペガを始めそしお止めた蚳・・ 埌線

 

 

 ペガの䞖界で、BNS.アむ゚ンガヌを知っおいるずいう人のほずんどがBKS.アむ゚ンガヌず誀認しおいる。近珟代発祥でアシュタンガず䞊び䞖界的に有名なペガでアむ゚ンガヌペガずいうのがある。BKSはその創始者で、バタビゞョむスず同じくマむ゜ヌル宮殿のペガ教垫クリシュナマチャルダの匟子であった。垫匠は同じでもスタむルは異なりアむ゚ンガヌペガにはノィンダサがなく展開するシヌク゚ンスもない、ハタペガのように䞀぀䞀぀のアヌサナを䞁寧に行う、特城は補助具を䜿っおアラむメントを敎えるこずにある。ノィンダサをクリシュナマチャルダから習ったはずなのに片方の匟子はそれを重芖し、もう片方の匟子は排陀したのはなぜだろう・・ アむ゚ンガヌペガのレッスンは䜕床か受けお圌の曞籍も読んだ、アプロヌチの仕方は違うがアシュタンガず同じくアヌサナ重芖のスタむルである、運動性は䜎くフィットネスの効果は萜ちるだろうが、安党面の配慮があるので幎霢を重ねおもある皋床は取り組んでいける。むンドのペガ教垫は、高霢になれば自己の緎習は止めお、指導だけに専念する人が倚いが、BKS.アむ゚ンガヌは高霢でも自己のプラティクスを継続しおいる点に奜感が持おた。幎霢が䞊がれば怪我をしやすくなる、故障の確立を䞋げるシステムが継続の決め手ずなるだろう

 

 薄暗く埃っぜいゞャガンモヌハン道堎での緎習は、むンド人2-4人倖囜人3-5人の少数であったが、毎日通うものは自分ずオヌストラリア人女性だけで他は数日に䞀床か、倖囜人は1週間足らずで入れ替わる事が倚かった。むンストタクタヌ志望の圌女は緎習熱心で、むンド文化に魅了され、ペヌガスヌトラやバガノァト・ギヌタを読み、*マントラ文字をノヌトに写経しおいた。圓然ノィヌガンで食事にも神経を䜿っおいた。ゎクラムでは宿舎又は民家をシェアしお緎習生は皆ノィヌガン生掻を送る。ゞャガンモヌハンは垂内なので近くのゲストハりスをマンスリヌで借り、食事は簡単な自炊ず倖食で枈たせられる。ペガの緎習だからずいっおノィヌガンにならなくおもよいのだ。たあ毎日食べるミヌルスはべゞ食なので、自然ずノィヌガンにはなる、玄米菜食の食逊に長らく取り組んでいたので、ノィヌガンでいるこずには䜕ら努力はなかったが、身䜓の欲っする栄逊は䜕かずいう身䜓感性は残しおいた。怪我故障や疲劎倊怠感の回埩には、ある皋床はタンパク源も必芁であるず感じ、月に䞀床䜍はチキンビリダニを食べおいた。タンパク質䞍足は骚や筋肉にも悪いからず圌女にも勧めたが、逆に修行䞭だけでもノィヌガンにしなさいず説諭された

 

* マントラをノヌトに曞くリキタ・ゞャパは、静寂ず集䞭力をもっお、30分間続ける。曞いおいる間は、心の䞭で同時にマントラを唱えるこずで、意識䞋の圱響が匷めらる。リキタ・ゞャパはどの蚀語や字䜓でもよい。これは、集䞭力を高め、瞑想状態に導く倧きな助けずなる

 

 

 ずころで話は飛ぶが、ノィヌガンを個人の信念趣向でやる、たた他者にも諭しお勧めるのはよいが、それが嵩じお過激なアクションに向かうのは賛同し難い、ポリコレBLM反捕鯚にも共通するが自分らの絶察正矩を他者にも匷制するのはどうなんだろう...   2017幎ノヌベル文孊賞を受賞したカズオ・むシグロ氏の発蚀が泚目された、それは「リベラル」を暙抜する人びずが自分たちのむデオロギヌを教条的に絶察正矩ずみなし、自身の感情的・認知的奜悪ず瀟䌚的正矩/䞍正矩を疑いもなくむコヌルで結び぀ける颚朮の高たりに察しお、リベラリズムを擁護する立堎のむシグロ氏自身が批刀した内容だった

 

 

 

 道堎は5時に開堎、盎埌に来る者はいない、だいたい6-7時くらいにパラパラず集たりだす、そもそも教垫のアむ゚ンガヌが来る時間もたちたちで遅い時は7時過ぎに来る日もあった。自己のペヌスで進められるスタむルは自分には合っおいた、シヌク゚ンスをやり切った達成感ず心地良い疲劎感、道堎内にある競争心、将来日本でもブヌムずなる最新のペガを誰よりも早く孊んでる先取り感もあっお緎習は䌑たず続けられた。だが䞀抹の䞍安もあった、アサナには危険なものもあるが教垫はアむ゚ンガヌだけで他にアシスタントがいない、しかもむンド人ず倖人は緎習ブヌスが違うので圌は時々いなくなる、それず我々倖囜人男性には玠っ気ないのだが、女性には䞁寧なアシスト密着したアゞャストをする点であった。これは斜術の際にも気を぀ける事で、䟋えペガの指導であっおも女性には誀解されないように配慮する必芁がある。埌幎ホットペガの創案者ビクラム・チョヌドリヌがセクシャルハラスメントで蚎えられた事やパタビゞョむスさえもが女性ぞの特定の「アゞャストメント」が性的に䞍適切だったず告発されたのを知った時に、危惧しおいたこずが珟実のものであったのかず至極残念な気持ちずなった

 

 アシュタンガの緎習には筋肉痛が付きものである。筋腱を匷く䌞ばせば硬瞮反応が珟れる。その筋肉痛に耐えながらも䌞ばしおいけば過䌞匵になっおカラダの軟らかさが増す、だから䌑んではいけない。しかし䜓質幎霢次第では、蚱容量を超えれば故障を招くこずになる。緎習を䌑たず自䞻トレも欠かさない圌女もあちこち故障を抱えおいた。緎習垰りのチャむ屋での談話は、たいおいコンディションに぀いおだった、軜埮な筋肉痛だったら敎䜓で調敎もしおあげれたが、股関節の軟郚組織に炎症があった時に、斜術では治らないのでしばらく緎習を䌑むよう助蚀したが、蚀うこずを聞いおくれず困っおしたった。歊術や気功もやっおいる自分にはペガはその䞭の䞀぀だが、圌女はアシュタンガの緎習に身心粟魂を費やし懞呜に取り組んでいた、アシュタンガには凄い熱量で憑かれたように緎習する人がいるが、その分怪我で苊しむ人も倚い

 

 自分も倧きな怪我こそなかったが、銖や肩など痛めるこずは床々あった。筋肉の炎症過緊匵がほずんどで自己敎䜓で匛みをずり䌑逊もずっおいたので悪化は避けるこずができた。緎習は日曜ずムヌンデヌを陀いお毎日だから疲劎が蓄積されやすい、怪我の予防は䜕よりも䌑逊なのだが、真面目熱意がある人にはそれが難しい。今日はコンディションが良くないなず感じたらシヌク゚ンスを䞀郚間匕くこずもしおいた。最初から最埌たで正しく党郚やり切ろうず頑匵り過ぎる人ほど怪我のリスクず向き合うこずになる

 

 1ヶ月も過ぎた頃には、䜙裕もでおきた、昌からはチャクラワヌクや歊術、倪極拳などの皜叀に圓おおいたが、マむ゜ヌルはペガが盛んな土地柄、別の道堎も探したくなった。ネットがない時代、電話垳で調べようず芳光案内所に足を運んだ。芪切な職員が、調べおくれお数件のペガ教垫に電話をかけおもらった。その䞭の䞀人が、倖囜人受け入れOKずのこず、ホメオパシヌのクリニックずアシュラムを䜵蚭しセラピヌ系のペガを教えおいる、倕方からレッスンもできるそうでさっそく行っおみた

 

 先生の名はバラクリシュナムルティ、機械メンテナンスの仕事の傍ら、空き時間にホメオパシヌのレメディの凊方やペガの指導をしおいるずのこず、定幎埌には道堎内に宿舎も建おるから次は泊たりで緎習に来なさいず蚀われた。実際再蚪した際にアシスタントずしお長期逗留するこずになった、ただ道堎は乳補品も摂らない完党ノィヌガンで倖食もできず毎日自炊の日々を送るこずになった。基本的には Dietary Vegan なのだが、「入郷随俗」 ノィヌガンの斜蚭(又は囜)に入所すればノィヌガンでいるこずは圓然のこずである

 

 霊性を修めるにあたりアヒムサヌは重芁であり、ノィヌガンはその䞊䜍の芁件であるず思う、そしおもう䞀぀動物でも怍物でも党おの生き物の呜を出来る限り貪らないずいう意味で、少食であるこずも倧切ず考える。環境や䜓調によっおはやむなく肉類を摂る堎合にも、過剰に倚くは摂らない、必芁最䜎限に抑えるこずもアヒムサヌに結ばれる、こういう意識が倚少なりずもあればテレビの倧食い番組はどうにも悲惚な出来事にしか映らない、この堎面を䞀郚切り取っお芋おも “ 魂の修逊 ” が蔑ろにされおいる今の日本には暗然ずさせられる

  

 歀方のペガはアむ゚ンガヌペガず同じくアサナの緎習に補助具を䜿う、お気に入りはロヌプワヌクで背郚肩甲骚の可動域の䌞展に効果があった、たたセラピュティックペガずしお腰の痛みに察応するアサナ等々、身䜓各郚の痛みに応じるアサナを孊んだ。たた歊術の蚓緎にずカラリパダットにあるヒンドゥヌスクワットずプッシュアップを加えた倪陜瀌拝を教わった。倚圩なコンテンツの䞭には、ノィンダサが含たれなかった、その蚳を聞くず「ノィンダサは䜓操だ、そもそもペガではない」ず蚀われた。それはクリシュナマチャルダによっお加えられ、匟子のバタビゞョむスがシヌク゚ンスに甚いおいるのだずの話だった。ずいうこずはアシュタンガっお最近できたペガ?圓時は䜕の情報もなかったので、ダマずかニダマずかサマディずか叀兞の甚語を䜿っおるので䌝統的なペガだず思いこんでいた。それ以䞊真停はわからなかったが、䜕でも鵜呑みにはできないなず感じた。今日ではペガのアサナ党般、西掋文化に圱響されおいるのがわかっおいるが、その圓時はそんなこずなど぀いぞ考えるこずはできなかった

 

 オヌム事件以来ペガ業界は停滞しおいたが、ミレニアムを迎え欧米発のペガブヌムが日本にも来る予兆があった。このビゞネスチャンスに乗るべく、ペガスタゞオをオヌプンするこずにした。フィットネスダむ゚ット、ハリりッドセレブそしおカッコむむ綺麗ファッショナブルをキヌワヌドに、最先端のスタむルであったパワヌペガを䞻軞に、経隓者向けのクラスはアシュタンガのプラむマリヌシリヌズを導入、若い女性の流行を意識したコンテンツにした。この戊略が圓たりオヌプン開始からどのクラスも盛況ずなる人気のスタゞオになった。ビゞネスずしおは成功なのだが、ペガの叀矩YUJはアシュタンガ及びノィンダサペガにはない、自分がやりたいのは宗教ドグマに支配されず身心の解攟から Samadhi ãžå‘かうペガ、それはチャクラワヌクから導かれるずわかっおいるのだが、スタゞオの経営䞊目指したい方向ずは真逆のスタむルの普及を担っおいるこずぞの葛藀があった

 

 関西では党く知られおなかったアシュタンガペガも、東京では愛奜者の増加が芋られた。その普及に尜力しおいたのがケンハラクマ氏であった、党囜的にもペガが流行り出した頃、ハラクマ氏のワヌクショップが倧阪でも開催されるので生埒たちに参加を薊めた。私のクラス以倖関西ではプラむマリヌシリヌズをやっおいるずころがなかったので、他ず比べるこずができない、そのワヌクショップを受けおより理解を深めおもらいたいず思ったのだ。アシュタンガの熱量に感化され毎回それに参加する生埒も出おきた。受講埌にどんな様子か報告しおくれるのだが、本家のアシュタンガは匷めのアゞャストをする、それができる教垫はレベルが高いず刷り蟌たれる様を芋るのは耇雑であった。他の教宀に比べれば匷めであったが、ゎクラムの教垫に比べれば甘かったであろう

 

 ペガ以前にカむロプラクティックや敎䜓で解剖孊を孊んでいた、骚栌アラむメントに察しお正しくアゞャストはしおいたが、筋肉靭垯の損傷の恐れがある手前で止めおいたのがわかっおもらえるはずもなかった。スタゞオには他所のむンストタクタヌの方も孊びにきおくれた、そこで意芋亀換をするこずもあった。ペガは老若男女誰でもできる、ゆったり穏やかなペガは安党ず考えられおいる、肩立ちや頭立ちを2-30分やり長ければ長いほどよいず教える教宀があるこずも驚いた、頞怎がどれだけ脆いのかわかっおいない。私はヘッドスタンドは毎日やるなず教えおいた、経幎劣化で怎骚の損傷の可胜性があるからだ。どのアサナでも党く安党なものはない、コンディションに合わせ適宜調敎が必芁なものばかりである

 

 ここ最近になっお欧米からであるが、アサナの危険性が医孊的芋地にのっずり報告されおきおいる。自慢で申し蚳ないが、私は20幎前からずっず蚀っおいる。日垞生掻にない姿勢を長時間するこずは身䜓に負担を䞎える、それが長幎に枡れば少しず぀損傷が蓄積される、䟋えばあるペガ教垫は、40幎間の緎習で脊柱狭窄症になり手術を受けねばならないほど悪化したそうだ。危険なものは、頭立ち肩立ちによる脊髄損傷や圧迫骚折や脳梗塞、バックベンドによる脊怎損傷や心筋梗塞、アヌムバランスによる肩関節損傷、そしお䞀般的には脊怎ヘルニアなんおザラにある症䟋である。ペガゞャヌナルの䜓隓談にこのようなものがあった ...

 

 

" 去幎参加したクラスで、股関節に倧怪我を負いたした。原因はパルブリッタパヌルシュワコヌナヌサナずいうポヌズ䞭に受けた匷いアゞャスト。アゞャストを受けおいる最䞭、私には逃げ堎がありたせんでした。自分の関節が耐えられる負荷を完党に超えおいるずわかったものの、固定されおいるので動こうずしおも動けない。思わず口を぀いお出た「痛い!もうムリムリムリムリ!!」ずいう悲痛な叫びも、アゞャストしおいた先生からは「わかる、これ痛いよねヌ」ずいうたさかの反応(なんでしょう、寄り添い?共感?)。先生の力は党く緩たず、私は歯を食いしばっお抵抗し、最埌は力比べで私が負けた圢になりたした。惚敗。クラスの埌しばらくしお発熱し、䌑めば治るかず思っおいたら痛みは倜䞭にピヌクに達したした。どの䜓勢を詊しおも痛みは䞀向にひかず、ベッドの䞭で脂汗をたらし、朝を迎えたした。いく぀もの倧きな敎圢倖科を転々ずし、最終的に出た蚺断は筋断裂、倧腿骚骚挫傷、股関節唇損傷。歩くのをお䌑みしお䞋さい、ずのこずで束葉杖生掻が始たりたした。 "    from Yoga Journal Online|アゞャストメントに朜む眠

 

 ペガブヌム真っ盛りの䞭にあっおもその終焉埌どうするかを考えおいた。ヒンディヌ教の苊行ずクシュティなどの䌝統歊術を基ずするむンドの身䜓文化、ペヌガはそのどちらの芁玠も含んでいる、さらに近䞖から西掋䜓操の圱響を受けた、アシュタンガはその代衚栌で内気内功を修行の栞ずする自分には益するずころが䜎かった、たた別項にも蚘したが、過䌞匵による運動性胜の劣化にも悩んでいた。真っ盎ぐ立぀だけの基本姿勢タヌダヌサナ(サマスティティヒ)から違和感がある、肩を埌ろに匕き胞を開く、軍隊での敎列姿勢ず同じ、東掋の身法では、肩を䞋げ胞はやや含む自然䜓、倪極拳でも柔術でも共通しおいる。プラヌナダヌマこそ内功だず蚀う人もいるが、りゞャむやバストリカやナりリも胞郭腹腔の郚分緎功でその目的は浄化にある、党身党集䞭の呌吞で内倖を統合する鍛錬ではない、クンダリヌニ、シャクティずかは仙道の呚倩法ず同じく雲の䞊の話だ

 

 気持ちがペガから離れる日々、教宀運営はビゞネスず割り切ろうしたが、熱心に緎習する生埒たちずのギャップで内心苊しくもあった。加えお敎䜓院ずの兌業にも困難を感じおいた。そんな悩みを抱えた䞭で、経営䞊の共同出資者から䞀方的に撀退を通告された、これが契機ずなりスタゞオの閉鎖を決断した。経営䞍振で止めるわけではなかったので、難しい刀断であった、特に熱心に緎習に通っおくれおいる生埒さんたちに䜕ず説明すればよいか苊悩しおいた。移転のための䞀時的な閉鎖ずいう狡い蚀い蚳を考えた、閉鎖埌貞し教宀で単発のレッスンは開きはしたが、本栌的にスタゞオを再開するこずはなかった。レッスンは講垫に任せスタゞオは残せば良かったかも・・など、もう15幎以䞊も昔なのに負の感情が湧いおくるこずがある。救われたこずは教宀からむンストタクタヌの道に進んだ生埒たちがいたこず、セレブがやるペガずかカッコ良くなるペガずか薄っぺらい宣䌝から解攟されたこず、そしお忘れかけおいたペガずの最初の出䌚い*故䜐保田先生の蚀葉をもう䞀床省みる心の䜙裕ができたこずだった

 

 

*  「 われわれの䜓操(ハタ・ペヌガ)は、健康になるずか、カッコよくなるずかいうこずではなく、宇宙に偏圚する神様であるずころの本圓の自分が身䜓を通じ、こころを通じお埐々に衚れおくる、ずいう倧きな意味がある。単に身䜓が䞈倫になった、あるいはカッコよくなった、ずいうこずは倧したこずではありたせん。もちろん健康になり、矎しくなるこずはできたす。健康や矎容が手に入らないようなこずでは、本圓の自分を発揮するこずができたせんから。しかしそれは、最埌の目的ではありたせん。もっずもっず倧きな目的があるのだず考えお匛たずに行っお欲しいず思いたす。」  ~ 八十八歳を生きる ペヌガずずもに ~  䜐保田鶎治著  

 

 

 ネットニュヌスで芋たが、ペガの競技䌚ずいうのがあるらしい、アサナの出来栄えを点数で審査するずいうのだが、サヌカスの雑技や新䜓操の遞手が参加しおきたらどうするのであろう。ペガの経隓が党くないのにアクロバティック軟䜓を埗意ずする他競技の人が優勝するようなこずがあっおは、ペガの優䜍性ずは䜕か問われるだろう。その意味でペガの本質ずは䜕かを考えさせられる。その昔䞊海䜓育倧孊歊術専攻科の孊生ずの飲み䌚で「僕らの衚挔歊術は戊えない歊術だから・・」ず自虐気味に語られたこずがあった、広矩に考えれば芞術性に富んだアヌト系の歊術もあっおよいだろう、でもそれが本流スタンダヌドずなっお歊術の本矩が倱われおはいけない、ペガもたた然りなのだろうか

 

 ボディビルのベンチプレスは、倧胞筋に集䞭しお効かせる、発達させる筋肉を意識しおその郚分に力を集䞭させる。筋トレは郚䜍別トレヌニングのため筋力バランスが悪くなり、競技力を萜ずす可胜性もある。筋肥倧を目的ずするボディビルず女性が奜むペガずはたったく異なるように芋えるが、実はペガも䌞ばしたい筋腱に意識を集めその他はできるだけ䜿わずリラックスさせようずする、党身の連動性を阻害した郚分的な蚓緎であるこずは同じなのである

 

 東掋の修緎は劂䜕に党身を纏めるかであるが、それずは党く違う方向に今のペガはある。チャクラワヌクは波状の動きずアサナを結んでカラダを䌞ばす、野生動物のナチョラルな動きに近い。動物には特有の骚栌アラむメントがある、構造が違う人間がその姿圢を暡したポヌズをする意味は䜕か?速さ匷さ撓りなどその動態を真䌌するのは意味がある、動物は皮を問わずロスがない効率的な動きをする、だからこそ小さなボディで倧きなパワヌを生み出す、東掋の身䜓修緎には連動敎合されたワヌクが内含されおいる。身心統合のワヌクから瞑想ぞ䞀぀らなりずなるのが自分のペガの本矩、ヒンドゥヌ哲理にフィットネスが乗っかったアシュタンガペガは生涯を通しお探求できるのものではなかった、ただ熱量を垯びおチャレンゞしおいた頃の思い出が今も胞の内で茝いおいる 

 

 高床な情報瀟䌚になるほど他人が決める䟡倀に圱響される。有名なものメゞャヌなものこそ䟡倀があるずの思い蟌みから、無名のサドゥヌが䌝えしものに重きを眮けず、ペガの沌を這いたわり、遠回りするこずになったが、歊術などの修緎も助けずなり、やっずその真䟡に気づくこずができた。無駄な手間暇を費やしはしたが、自らの䜓隓(身䜓知)を経お感埗するプロセスは必芁なこずだったのだろう

 

 教えを本圓に理解するのは、垫匠から䞎えられるものではなく、自身で䜓埗するものである。垫匠はただノりハりを䌝えおくれるだけでその栞心を䌚埗するのは自分次第である。垫匠ず匟子ずの間で䟝存関係が成り立っおしたえば真実を悟るこずは難しい。自分自身を芋぀め、内なる目を開き、気付きを保っおいくこずが倧切である。そのためにはあらゆる文化的瀟䌚的な既存の瞛りから解かれる必芁がある。わが垫シバナスババが、䌝授の埌、すぐに去っおしたったのは、もしかしおその課題を䞎えるためでもあったのかず今では思える。単なる技巧の習埗を超えお霊的な目芚めを埗るには、党身党霊を以お己の真の本性を自らが感埗するよりほかにない。神の抂念その姿は宗教によっお倚様であるが、それは党おむメヌゞに過ぎない、真正の神を感受するには、自らの内なる真我(アヌトマ)に目芚めねばならない、『バガノァッド・ギヌタヌ』18ç« 61節では 「むヌシュワラ・サルノァブヌタヌナヌム・フリデヌシェヌ」(神は生きずし生けるものすべおのハヌト領域に宿る)ず宣蚀されおいる

 

 

 

 

※ 関連ペヌゞ ペガの真実 コラム 2  10