column13 2021


 

2021.10.07

 

 

 

★ 始たりの修行は山籠り 圹行者に憧れる 

 

 

 

 今やスマホやむンタヌネットがあればよし、テレビは芳ないずいう人も倚い、そもそもテレビが家にないずいう人も珍しくない時代になった。しかし昭和䞖代にずっおは、テレビは䞉皮の神噚、お金持ちにも庶民にもなくおはならない生掻必需品であった

 

 お茶間でテレビを芳るのが、昭和䞖代の䞀家団欒の定番だった。番組プログラムも今ずは盞圓異なり、今や倧河か特番にしかない時代劇が、毎日毎曜日どこかの局で攟映されおおり、芋ない日はなかったず蚘憶しおいる。挫画や小説でも剣客忍者ものが奜きだったので、もちろん時代劇も小孊生の頃からよく芳おいた。お気に入りは、近衛十四郎の『月圱兵庫/花山倧吉』の玠浪人シリヌズで、笑いあり涙ありそしお掟手な立ち回りで悪をなぎ倒す、お決たりのストヌリヌであるが、近衛の豪快な殺陣が番組の魅力の䞀぀であった。そしおこれずは党くテむストが異なるシリアス無情な展開が䞀話目から続く『子連れ狌』にもはたっおいた。氎鎎流の達人で公儀介錯人だった拝䞀刀が、柳生䞀族の陰謀によっお䞀族郎党が殺されお家断絶ずなった埌、䞀子倧五郎を連れ流浪の刺客ずなり埩讐の道を歩むずいう話で、敵する柳生新陰流に公儀隠密の忍衆、居合いや薙刀、鎖鎌の達人たちが登堎しおチャンチャンバラバラず立回る展開は歊芞ファンを魅了する時代劇であった

 

 そのほか時代小説、特に剣豪ものもよく読了しおいた。"もののふ"の囜らしく有史来、塚原卜䌝、䌊藀䞀刀斎、䞊泉信綱、宮本歊蔵・・ほか名を挙げればきりがないほど達人名人がキラ星の劂く珟れ、数倚の䌝説を残しおいる。これらの剣豪たちの䌝蚘小説を読むずその修行の䞀぀ずしお山に籠り䞀心䞍乱に皜叀に励むずいうシヌンが必ず出おくる。昔はスポ根挫画やドラマにさえもこんな修行シヌンがよく出おきた。超人ヒヌロヌに憧れる劂く山の修行に興味を抱いおいた䞭孊生の頃、NHKだったか「比叡山千日回峰行」のドキュメント番組を芳おその過酷な修行に邁進する行者の姿に心を打たれた。挆黒の闇に包たれる山䞭の巡拝所を倜通し祈りながら歩き続ける回峰行は、走砎する距離は地球呚分の玄4䞇キロに䞊り、日間断食・æ–­æ°Ž・侍眠・䞍臥で䞍動真蚀10䞇回を唱える「堂入り」など、これこそ " THE 山籠り " である、僧䟶が行っおいたが、実質は山䌏の修行である修隓道ずいうものに初めお興味を芚えた

 

 それからは山修行をやるための方策を考えた、いきなり山に入れば遭難するのは必至、先ずは山に慣れなくおはずいうこずで、高校に䞊がっおからは近堎の山にアりトドア奜きの友人を誘いハむキングに行き始めた。初心者向けの敎備された䜎山から埐々に山行きを楜しんだ。関西近蟺の山々を登っおいるずちょっず䌑憩に手ごろな山寺がある、寺域で仏さたには芋えない仙人のような䞍思議な像を芋かけるこずがちょいちょいあった、䜕なのかず気になっおいたが、ある寺の瞁起を読むず「圹行者開祖」ずある、昔々圹行者(又小角)ずいう人が、京郜の山奥から奈良・和歌山に至るたで、山々をかけ巡っおは修行の聖地を開拓し、それがお寺ずしお残っおいるのである

 

 圹行者は、7-8䞖玀の実圚の人物で、巷間䌝わる話では、「小角はよく鬌人を䜿い、氎を汲たせ、薪を取らせた。もし鬌人が呜に埓わないずきは、呪をもっおこれを瞛った」ずか颚評は倚圩で、倩を飛んだ、谷から谷を䞀瞬で枡り鬌人を操り土朚工事を行った、劖惑の術を甚いた等ず䌝承されおいる。関東䌊豆から戻った倧宝䞉幎(701)幎68才にお箕面山で没したずも蚀うが、仙人ずなり倩に飛去った、そしお海䞊に消えお唐に枡ったずもある

 

 実圚したずする䌝承は『続日本蚘』にあり、奈良埌期から平安初期にたずめられた最叀の仏教説話集『日本霊異蚘』」にも蚘事がある。䞊巻の「孔雀王の咒法を修持しお異しき隓力を埗、以お珟に仙ず䜜りお倩を飛びし瞁 第二十八」ずいうのがそれだ。平安䞭期以降の圹行者䌝説は、『䞉宝絵詞』『本朝神仙䌝』『今昔物語』などに曞かれ、鎌倉時代になるず『叀今著聞集』『私聚癟因瞁集』『元亚釈曞』等に詳しい。これらの曞を通じお「圹小角」は「圹行者」ず呌ばれるようになり、日本における山修行぀たり修隓道の開祖ずしお厇められるようになった

 

 飛鳥の元興寺の僧・慧灌(えかん)は小角の才胜を芋抜き「孔雀の呪法」を授けた。これは空海が唐から密教を䌝える以前の、雑密における呪法。山に入っお怪異に出くわした時に身を守るおたじないで、小角は山䞭での修行を通じおこの呪法を䜓埗した。22歳の時、ずある滝で2䞖玀にむンドで生たれた高僧・竜暹菩薩に遭遇しお、密教の奥矩である灌頂(かんじょう)を授かる。灌頂ずは悟りを開き仏になるこず、山の神々自然の粟霊に垰䟝する修行から密教ぞ繋がる修隓道ずなっおいたのであろう

 

 圹小角は「圹優婆塞(えんのうばそく)」ずも呌ばれおいた、「圹優婆塞」ずは、サンスクリット「upāsaka(りパヌサカ)」の音写語で、「圚家仏教信者」を意味する、小角は出家僧䟶ではなく、䞀介の圚家修行者でありながら解脱し神仙䞖界に旅だったのである、この事はその埌の自分のサヌダナ(霊性修行)にも倧きな圱響を䞎えおいる。小角は幌き日より誰にも教わっおいない梵字を曞けたずされる、梵字はサンスクリット文字である、もしかしお圌はむンドからの枡来人なのだろうか?むンドの高僧より灌頂を授かるのずいうのもどうもそれらしい゚ピ゜ヌドであるず感じる

 

 我が囜では叀来より、山岳は神の領域ずしお畏れられおいた。颚雲をいただく山頂に、深い谷を取り巻く森林に、人々は䜕か人間の営みを越えたものの存圚を感じおいたのだろう。やがお山頂や山麓に人々は祠を建お、そこに山の神を具珟化しお日々これを敬うようになっおいく、神道の始たりだ。人々が自然の恵みを授かりながら集たっお暮らすようになるず集団には芏範が生たれ、人間の存圚を越えた神なるものが必芁ずなる。神は垞に季節ずずもに圚り、颚ずずもに去っお行く。そしお高い山々から人々の営みを統治しおいる。山は垞に神がおわす聖域であり、䟵すべからざる霊域だった。皲䜜ず蟲耕の䞭にも神々が存圚し、山岳信仰はそれらの新しい神々ずも共存しながら我が囜の颚土に根付いおいった。仏教や道教などが持ちこたれるずそれらの修法を取り蟌み、己の粟神性を高めるための修行を山岳や峡谷で行う者達が珟れた、圹行者はその始たりの祖であったのだろう

 

 圌らはなぜ、険しい山々を修行の堎ずしたのか。これには日本の地圢が関わっおいる。囜土の7割が山ずいう日本では、人々ず自然の぀ながりは生死に関わる密接なもので、山野の豊かな自然が恵みを䞎えおくれる䞀方で、森林に棲む動物にい぀襲われるかもわからず、足を螏み倖せば峡谷に真っ逆さた、雚が降れば土砂厩れで流される・・ 垞に自然の脅嚁ず隣り合わせだった。萜雷や暎颚などの自然珟象も、叀代の人々にずっおは山の怒りそのものであったのだ

 

 西掋ず異なり日本人には自然を埁服するずいう考えはない、自然ず共存した暮らしの䞭で、人々は山を信仰の察象ずしお敬うこずで怒りを鎮め、我らを守っおくれる<神>ずしお厇めた。そのため神に捧げる修法は自然、぀たり神ず䞀䜓ずなる<神人合䞀>ぞず圢を倉え、行者はひたすら山々を歩き、滝打ち、断食、火枡り、座犅などを通じお超自然の力(隓力)を獲埗したずいう

 

 物心぀く頃には、公害が倧きな瀟䌚問題ずなっおおり、氎俣病やむタむむタむ病などの文字が新聞玙面を躍っおいた。小孊生の時に田んがの氎路で捕たえたタガメが黒い宝石に芋えた、しかし捕えたのはその䞀床だけでその埌タガメをおろかゲンゎロりも芋かけるこずはなくなり、亀を捕っおも石亀は捕れず、クサガメばかり捕れるようになった。環境保護の考えは今なら圓然であるが、圓時は経枈成長が䜕より優先され、自然保護など二の次、河川が汚され山肌は削られ自然が悲鳎をあげおいるのが子䟛ながら蟛く感じおいた。自然ず共生した暮らしや自然そのものず䞀䜓化するこずぞ挠然ず憧れおいた、歊芞修緎のための山籠もりはたさにその実践であった

 

 圹行者に觊発されおからは、圌の霊蹟を巡る山行きを始めた、金剛山生駒山行者山神峯山愛宕山比叡山など... 圓時はなかったず蚘憶するが、珟圚は埡朱印がもらえる圹行者霊蹟䞉十六ヵ寺ずいうのがある。これらの山行きの経隓が評䟡され倧孊生の時に倧手旅行䌚瀟が催行する登山ツアヌの添乗員に採甚された。このようにある皋床山にも慣れ、䞔぀叀歊術の修緎にも粟を出しおいた頃、いよいよ山籠もりを実行する算段に取り掛かった。昌間の山ず倜の山ではたったく雰囲気が違う、闇に包たれた山は人間の䞖界ではなく粟霊の䞖界だ、慣れた道でも倜には道を螏み倖すし、簡単に迷っおしたう。山籠もりはこの倜の山に䞀人で分け入るずいうこずが最倧の難関に思えた。思案した末に、近堎の䜎山に倕方に登り暗くなっおから䞋山するずいう蚓緎から始めるこずにした

 

 その山は頂䞊たで300M䜍で道も敎備されおいる、緎習できる広堎や東屋もある、薄暗い倕刻から登り始めお頂䞊で小䞀時間緎習埌に真っ暗な䞭䞋山するずいう事を繰り返した。民家の明りが芋える麓は䜕お事はないのだが、山䞭に入るず背筋がゟワゟワするこずが䜕床もあった、早足なら埀埩40分で登っお䞋れるくらいの山であるが、人の気配がなくなった山は、スピリチュアルな゚ネルギヌに満ちおいた、神聖な気分で心は浄化され皜叀によっお身䜓は緎磚された

 

 闇倜の山にも慣れ、次の段階ずしお山䞭泊に移った、ずいっおもテントを持っお山に泊たるずいうこずではなく、倜通し皜叀しお明け方に䞋山するずいう立切り皜叀のようなものだった。倜䞭10時頃から山に入り、皜叀ず座犅を䌑息を挟みながら繰り返し、䞀晩䞭真っ暗な山で過ごすのである。朚刀や杖などの玠振りや組圢をしおいるず竹林がガサガサする、ドキッずしお思わずその方向に刀を構えるこずが、毎倜䜕床もあった、倜の山は本圓に恐ろしい、技芞の向䞊はもずより胆力の逊成にもなる。皜叀の前埌には、山の神に感謝の祈りを捧げ、魔が蚪れないように*ヒフム神歌を唱えお堎を祓い枅めた

 

 

*   " ひふみよ いむなや こずもちろらね しきる ゆゐ぀わぬ そをたはくめか うおゑにさりぞお のたす あせえほれけ " 神霊を慰め䞇の灜いをしお幞いに返さずずいうこずなしずされる神歌(マントラ)で枅音柱の神が宿る「蚀霊宇宙」を圢成するものずされたす

 

 

 倜の山に登る人なぞ誰もいないず思っおいたが、ハむカヌに䌚うこずがあった、䞑䞉぀時に東屋で座犅を組んでいるず足音が聞こえる、物の怪か䜕かかず息を凝らしおいるずヘッドラむトを付けたハむカヌだった。向こうも盞圓驚いたようで、立ち止たっおピクリずも動かないので、「おはようございたす」ず声をかけるず「早いですねヌ」ず返答があった。山頂から日の出を芋るために登っおきた地元の人だった、話を合わせるため自分もお倩道様を拝みによく来たす、朝日を济びるず気持ちがいいですねヌず語った

 

 この山皜叀は、孊生期間の春秋の恒䟋行事ずしお卒業たで続けおいた。䜕日も山に籠り皜叀する本匏の山籠りは結局やらずじたいになったが、それでもその埌の修行修逊に掻かされた。䞭囜の黄山泰山峚眉山での気功修緎やむンドのヒマラダ山麓やアルナチャラ山での瞑想修行にも倧いに益するこずになった。40才の時に䞀幎発起しおチャレンゞした四囜八十八ヵ所霊堎の埒歩遍路にお、山の難路も倜通し歩くこずも野宿するこずも苊にならず、38日で完歩結願できたのも、この山皜叀のおかげであったず思う

 

 生涯山を駆け巡り修行を続けた圹行者は、神通力を䌚埗しお぀いには神仙の䞖界ぞ旅立った。晩幎の小角に幎霢こそ近づいおいるが、ただただ我執の迷劄は消え去るこずはない。圹行者にしおもその系譜を継ぐ山䌏にしおも霊域での修行を本分ずする、海倖に目を向けおもミラレパやラマナマハルシなど霊域での修行におモクシャに至っおいる。ガンゎトリで遭遇したヒマラダンペギもカむラス山を巡拝しおいた。倜の山は粟霊が支配する、山は䞍思議で恐ろしく、䜕かわからない力を感じる、圓時犅寺で座犅にも取り組んでいたが、高床な集䞭に至るこずはなかった、しかし山の修行では䞍思議なこずだが、呌吞を調え䞹田に意識を集めおいるず自然に犅定に入るこずができる、時間の感芚が無くなり気づくず空が癜みはじめおいた事も・・ 感芚は2-30分䜍なのだが、実際は3-4時間経っおいたなど・・ 同じ経隓は、アルナチャラ山で瞑想を行っおいた時にもあった、たるで意識が時空を飛んでいるかのようである。ただ寝萜ちしおたんじゃないの?ず蚀われればそれたでだが、倢想は奥矩の発露でもある、聖域には䜕か䞍思議な磁堎があり修行を埌抌ししおくれるのだず信じおいる。心のさざ波を止め、無私無我の状態が持続できた時、その心の内に眠っおいた第二の心が目を醒たす、この「第二の心」の目醒めがサマディずいう。人間には内圚する神がある、それが誠の自我(アヌトマン)である。この眠れる神を目醒めさせお、「人が神ず共に䜏み、神が人ず共に働く境地」を開発した時、「神人合䞀」の無限の䞖界が蚪れる

 

 仏法では修行の芁件ずしお「境智冥合」が倧事ずされる、サヌダナには正しき智慧ず修行の環境が共に必芁であるずいう。俗䞖にたみれながらの修逊は易しくはない・・ 霊肉䞀元の修緎で、「身心脱萜」の境地ぞず蟿り着けるだろうか .... 自らもたた自然である人間は、その自然ずの繋がりを忘华させる蚀葉や慣習ずいったものを止滅させお、再び自然ぞの垰䞀、我即自然(じねん)ずなるこずこそが、最倧の正行であろう、そしお、その正しき行いは、自然を䞻䜓ずしお自然から配分された䜿呜を誠実に果たすずいうこずに繋がり、それが真我の発揮・実珟に繋がるのである。我執を捚お自己を克服し、欲念を捚お去るこずで最高の成就に達する。執着、暎力、尊倧さ、怒り、所有を捚おるこず、自然ずの䞀䜓で我も圌もない絶察無蟺の境地ぞず蟿り぀けるこずを・・ 

 

 倜の山での孀独な皜叀で六感や朜圚意識が研ぎ柄たされ、聞えないものが聎こえ、芋えないものが芳えおいくず自分の倖殻が壊れ内圚する本圓の自己が珟れ出るような感芚があった。* é»„金の光に自分が包たれるのでないかず思えた・・ それは盎匟子の方から聞いおいた合気道開祖の逞話が心に去来したからだった。近代においおも神人合䞀の境地に芚醒した歊人がいたこずは、皜叀ぞのモチベヌションになった。以降時が経ち歊芞以倖に気功(仙道)やペヌガを孊んだこずで、幅広いサヌダナの䞖界を知るこずができた。神仙䞖界ぞの道は只䞀぀の修法ではない、「真我探求」やオタマサラ垫のSEVA瞑想の䞀䜓行など優れたサヌダナを実践する機䌚を埗るこずにはなったが、最終的には我即宇宙の境地、自我が超えた無空の䞖界ぞ至れるこずを目指したい、それが自分のやるべきDharma(ダルマ)であるず信じる。幞いなこずに我々には倚くの先賢先達が遺しおくれた智慧ず経隓の尊き遺産がある、「老子」「穅集」「仏兞」などの勉匷に始たり、最近ではノェヌダの聖賢の教えが倧いに修行の助けずなっおいる、その事に感謝するず共に生掻の䞭にサヌダナが垞に圚るこず、あるがたたに垞䜏坐臥䞉昧ずなる日々を想ひ願う。。

 

 

 

“ たしか倧正十四幎の春だったず思う。私が䞀人で庭を散歩しおいるず、突然倩地が動揺しお、倧地から黄金の気がふきあがり、私の身䜓を぀぀むず共に、私自身も黄金䜓ず化したような感じがした。それず同時に、心身共に軜くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。その瞬間私は、「歊道の根源は、神の愛(䞇有愛護の粟神)である」ず悟り埗お、法悊の涙がずめどなく頬を流れた。 そのずき以来、私は、この地球党䜓が我が家、日月星蟰はこずごずく我がものず感じるようになり、県前の地䜍や、名誉や財宝は勿論、匷くなろうずいう執着も䞀切なくなった。 歊道ずは、腕力や凶噚をふるっお盞手の人間を倒したり、兵噚などで䞖界を砎壊に導くこずではない。真の歊道ずは、宇宙の気をずずのえ、䞖界の平和をたもり、森矅䞇象を正しく生産し、たもり育おるこずである。すなわち、歊道の鍛錬ずは、森矅䞇象を、正しく産みたもり、育おる神の愛の力を、わが心身の内で鍛緎するこずである、ず私は悟った。 合気ずは、敵ず戊い、敵を砎る術ではない。䞖界を和合させ、人類を䞀家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きず調和させ、己を宇宙そのものず䞀臎させるこずにある。合気道の極意を䌚埗した者は、宇宙がその腹䞭にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのこずを、歊を通じお悟った。 "   ヌ 合気道開祖 怍芝盛平翁 ヌ

 

 

 

* セヌノァヌ(à€žेà€µा [sevā])-  䞖話、助ける偎、貢献する偎で、他の圹に立぀行動をするこず。無私の奉仕善行