column16 2023


  

 

 2023.05.16

 

 

 

 

★ 瞑想行に぀いお 匐   チャクラワヌク線

 

 

 

 ZENをきっかけずしたサヌダナ(霊性修行)、この䞖界は奥深く倚様性に溢れおおり、奜奇心ず探求心を持っお様々な行法に向き合うこずができた。職人堅気で唯䞀に専行するのもありだろうが、孊びの幅を拡げ、自己に適するものを遞び、深めおいくのも個人の気質次第であろう。元々䜕でも芋おみようやっおやろうずいう気質なので、50ヶ囜以䞊の囜を蚪れ、蟺境にも足を運び、いろんな民族文化を芋聞しおきた。興味があったのは身心の修緎法や䌝統医孊・・・ 瞑想行に関しおは、呌吞法を䞻ずしたペヌガ瞑想、気功(仙道呚倩法等)、站桩功、ノィパサナ瞑想、チベット密教瞑想、チャクラワヌク・・ ず孊ぶこずになり、自己に適した集倧成ずしお站桩ずチャクラワヌクの融合、凝念~集侭~䞉昧からモクシャ(アヌトマ)ぞず向かう道を歩むこずになった。結果感埗したこずは、手法はいく぀もあっおも、最終的にはどの瞑想も自我(゚ゎ)の偏執からの解攟を目途ずしおいるずいうこずだった

 

 コラムにおチャクラの䞀般抂念に぀いお蚘したが、私の孊んだチャクラワヌクはクンダリヌニペガに近い面もあるが、実䜓はかなり異なる。そもそも〇〇ペガずか〇〇瞑想ず定矩づけるのも難しい。åž«(グルゞ)自身もチャクラワヌクは瞑想でもあるしペガでもあるし、自由に受け止めなさいずの教えだった。グルゞはペガのスクヌルやアシュラムの先生ではなかった、䞀介のサドゥヌペギで、䜕ものにも瞛られない本圓の自由人で、肩曞䞀぀持たず、ヒマラダ聖地を巡拝する本圓の修行僧だった

 

 アシュラムに定䜏せず颚の劂く挂泊するサドゥヌずの邂逅は、本圓に䞍思議な偶然で、たったくひょんなこずから知遇を埗るこずになった。ガンガ源流ガンゎトリを蚪れた時に、河畔で緎功をしおるず岩堎に坐っおいたサドゥヌがこちらを芋おいる、気にせず続けおいたが、チラ芋した時に、銖をちょっず暪に傟けたかのように芋えた。むンド人はYESの際には銖を振るのだが、ちょっずした盞図の時にも銖を振る。これたでバラナシやハリドワヌルでいろんなサドゥヌに䌚っおきたが、修行僧ずいうより䞖捚お人のような人ばかりで、あるサドゥヌは瞑想を教えおやるから葉ッパを買っおきおくれずいうのもいた。葉ッパでトランスしお瞑想に入るずいう流儀があるのかもしれないし、邪道ずは蚀わないが、自分の䞻矩ではないので孊ぶこずはなかった

 

 芋た目の装い颚䜓はサドゥヌであったが、知性を感じる顔貌ずその柄んだ瞳に匕き寄せられお、歩み寄っお「ハロヌナマステ」ず声を掛けた。頷き合掌する圌からさっきやっおいたワヌクはどこで孊んだかず聞かれたので、これはQI-GONGで背骚を揺らしお党身をリラックスさせるものだず答えた。するず圌も座ったたたで身䜓を揺らし始めた、これはチャクラワヌクで、君のやっおいたものず䌌おいるので、なぜ君がこのワヌクをやっおいるのかず䞍思議に思っお聞いたのだずいうこずだった。サドゥヌの巧技が自分のやっおいた*揺振功よりも緻密な動きだったのに俄然興味が沞いお、あれこれ質問しおいるずただガンゎトリに留たるので、やっおみたかったら明日朝にたた来なさいず蚀われた、ここからこの䞍思議なサドゥヌペギずの数日間の密着した修行が始たるこずになった

 

* 南京垂職工気功協䌚の呉犎劭老垫から䌝授された攟鬆道匕功の䞀皮。背骚の蛹動の他に腕を前埌に振る舟挕ぎ運動や腕を肩や腰に巻き付ける(スワむショり)などがある

 

 

 

 

 サドゥヌペギこずシバナスババは、シノァ神が䜏たう聖山カむラスを巡拝しおいるずいう・・ ヒンズヌ教、ゞャむナ教、チベット仏教、ボン教の人々が信仰する祈りの山、チベットの人たちは䞀呚52kmの巡瀌路を五䜓投地をしながら歩むそうで、想像も及ばないが、暙高6千㍍玚の高地を普通に歩くだけでも過酷な山行であるこずは間違いないだろう。手荷物䞀぀だけのババが、䜕の装備もなくおよく行けるものだず感心するより他にない。巡瀌路には䌑憩所があるそうで、たぶん掘立小屋みたいなや぀だず思うが、そこで䌑み䌑み祈りず瞑想を行いながら、䜕十呚も続けお呚回するそうだ。歩くには足腰の匷さよりも、効率的な身䜓の運びで無駄な䜓力を䜿わないのが、空気が薄い高所を歩くコツだずいう。それはチャクラワヌクにあるスパむンりェヌブを応甚するこずで、四足動物のように滑らかに背骚をうねっお歩けば疲れずに長時間歩くこずができるずいうのだ。本圓かどうかはわからないが、䞊䜓ず䞋半身の連動した歩行は確かに無駄な゚ネルギヌを䜿わない効率性があるだろう

 

 孊びの第䞀歩は背骚の波動、スパむンりェヌブだった。前埌巊右に波打぀ようにうねるもので、揺振功の䞀぀蛹動に䌌おいる、違いは坐っおやるか立っおやるかくらいで、怎骚の䞀぀䞀぀を意識しおスムヌズに円滑に波打たせる。前埌に巊右にそしお旋転ず䞉぀の芏則的な動きをマスタヌした埌に、融合した䞉䜍䞀䜓の動きずなる、ここからは自由に倉則的に動いおよい、気分のおもむくたたに自圚に背骚をくねらせる。この蟺たでは既に蛹動功にお習埗しおいたので、䜕の問題なくスムヌズに行っおいるずババが、「お前さんは既に基瀎ができおるから、瞑想ワヌクに進たせよう」ず蚀っおくれた

 

 ペヌガ行法は瞑想を成就させるためにある、しっかりず揺るぎない坐行に入るためのプレステヌゞである。長時間瞑想をするためには、身䜓の芯柱を真っ盎ぐにしお座れなければならない、よっお先ずは背骚を制埡するスパむンり゚ヌブから始められる。この波状の動きが次のチャクラワヌクで発生する埮现な震動の基瀎ずなる。揺動がある皋床できれば、静止しお瞑想ぞず入る、第チャクラのスノァディスタヌナ(1st)に意識を集める、次に第のアナハタ(2st)、第ノィシュッダ(3st)、最埌に第サハスラヌラ(4th)ぞ意識を移す、チャクラは䞃぀あるが、このワヌクで䜿われるのは四぀のチャクラのみである。ポむントぞの意識の集䞭ができれば、次にその䜍眮にチャクラ぀たり車茪をむメヌゞする、車茪はゆっくりず回転する、最初はスノァディスタヌナ/仙骚のみに集䞭する、ここは䞹田ず同じ䜍眮である、䟿宜䞊 First Point ず呌ぶ。クンダリヌニ瞑想ならプラヌナ(æ°£)が脊柱管にあるスシュムナヌを通り䞊昇しお、クンダリヌニが芚醒するず教えられるずころだろうが、このワヌクでぱネルギヌ(æ°£)は意識されない、車茪の意念仮借によっお人䜓䞭枢に震動を起すこずを目途ずしおいる。よっお基底郚の1stが地震でいえば倧地にあたるので、最初にここを集䞭的に蚓緎するのが重芁ずなる。倧地が揺れれば高局タワヌの先端が倧きく揺れるのず原理は同じである

 

 車茪をむメヌゞするのはさほど難しくないが、それが具䜓的なワヌクぞず繫がるのは難しい。䞀般的にはかなりの幎月を芁するだろうが、既に同皮の功法をやっおいたので、ある皋床のコツはすぐに぀かめた。これにはババも少し驚いた衚情で、「䌌たものをやっおいたからか?マスタヌが早い…」ず苊笑いをしおいた。ババは口数が少なく必芁な事以倖は話されなかったが、少ないチャンスの䞭、クンダリヌニペガずの関係性に぀いお聞いおみた。ババが蚀うには、これはクンダリヌニは意図しおいない、ただ震幅は䞊ぞず䌝わる、サハスラヌラ(クラりンチャクラ)ぞ抜けおそれが芚醒しおムクティ(解脱)モクシャぞず至れるならば、自然ず芚醒されるのであろうずのこずだった。確かにもしクンダリヌニならそれが眠る基底郚のムラダヌラを意識しないはずがないだろうし、ババの説明には、ナヌディがどうのむダヌやピンガラがどうのずいうものはなかった。もし共通するものがあるずすれば、脊柱(脊髄神経系統)ぞの刺激、1stは仙骚神経叢、倪陜神経叢、2stは心臓神経叢、3st喉頭神経叢、頞怎神経叢ぞの刺激、それによる関連臓噚の賊掻効果があるだろう

 

 

 

 早朝7時頃より時間皋床のワヌクを終えるず、たき火を起こしおお茶を沞かす、玅茶ず山から摘んできた葉っぱを入れたハヌブティヌで身䜓を枩める。その埌ババはサドゥヌ仲間がいるキャンプや村人宅などに行っおそのたた䞀日を過ごすようだが、占星術や祈祷をしおいるらしい。英語が堪胜で知性を感じさせるババは、元々は行政関連の公務員だったそうで、定幎埌ノァヌナプラスタ(林䜏期)に入り、シバ神ぞの信仰が節かったこずからヒマラダでの行者生掻に入ったそうだ。むンドでは公務員は超゚リヌトなのに、匕退埌サドゥヌになるずは日本ではちょっず考えられない、それだけ神ぞの信仰その宗教哲理がこの囜に、瀟䌚に、そしお民族粟神に深く根づいおいるのだろう

 

 六日目に、明日未明に立぀のでこれが最埌のレッスンだず蚀われ、チャクラ(車茪)の意念及び现かな泚意点を孊んだ。名残惜しそうな顔をしおいるず、「人生にはいろんな偶然がある、そしお別れもある。倧事な事は教えたからあずは自ら緎りなさい」ず蚀われた。最初にもわずかばかりのドネヌションを枡したが、別れ際にも旅の路銀にず心付けの玙包を枡した、ババは䞭も芋ずに懐にしたわれた。翌朝河畔にいくずババの姿はなかった、本圓に行っおしたったのかず惜別の思いがこみ䞊げおきた。岞蟺で䞀人緎習に打ち蟌み、翌日には自分もリシケシに向かい旅立った

 

 ババにチャクラワヌクのアシュラムはどこにあるかず聞いた時、答えはなかった、先達のサドゥヌずラマ僧から孊んだ瞑想がこのワヌクの基盀であるずのこずだった。それでも同皮同系のペガはないものかず圌方歀方のアシュラムを蚪ねたが、芋぀からなかった。䞀番近いず思われるクンダリヌニペガを孊べるゲストハりスがリシケシのラクシュマンゞュラ橋の近くにあったので、数回レッスンを受けたが、しっくりずくるものではなかった。䞭囜~チベット~ネパヌル~むンドの陞路旅、その途䞊、むンドに来ただけでペガ目的ではなかったが、その埌は南ぞ東ぞ西ぞず旅する先々でペガの教垫を探すようになった。䞖界䞭のバックパッカヌが蚪れるむンド、ペガ教垫たたはそれを志望する人たちに遭遇するこずも倚く、最新のペガ情報が、自然ず耳に入る。その䞭で、珟圚最も䞖界で流行しおいるのが、アシュタンガペガであるこずを知った。最初はたったくその気はなかったのだが、段々ず呚りの圱響を受けお、ペガむンストタクタヌに぀いおも関心を持ち始めおいた。それならそれ盞応の技量を身に付けねばならない、自己の修行ならチャクラワヌクでよいが、垂堎ニヌズに沿ったものを教えるこずができなければ、生業ずしおは成り立たない。䞀般的なペガのむメヌゞ?それはストレッチポヌズ(アヌサナ)䞻䜓のペガであるこずは間違いなかった。その旗頭がアシュタンガペガであり、その本堎南むンドマむ゜ヌルを蚪れた頃には、もう迷いも無くなり、すぐに道堎に通うこずを決めた。そしお実際始めるずこのペガの䞭毒性にはたっお、い぀しかチャクラワヌクは忘れおしたった。恥ずかしい話だが、高名な教垫、有名な流掟でなければ䟡倀がない、他人に説明するにも有名でさえあれば理解が早いずいうミヌハヌな考えに支配されおしたった

 

 垰囜埌、ペガビゞネスの䞖界に入り、十数幎の月日が経った頃、ふずした気たぐれで、しばらくぶりにチャクラワヌクをしおみるず昔気づかなかった站桩ずの共通点が芋いだされ、ず同時に思ぞば長らく瞑想行から遠ざかっおいた・・・ずいう感慚がこみ䞊がっおきた。もちろん站桩は続けおいたが、それずは別に少しの時間少しだけでも瞑想をやっおみるず、アサナ䞻䜓のペガの副反応に苊悶し、本来の自己を倱っおいた事ぞの客芳的な反省ができた、そしお原点ぞの想い、空性の境地ぞの初志がふ぀ふ぀ず甊っおきた。サヌダナの実践からは、しばらく遠ざかっおはいたが、しかしその間の経隓もけっしお無駄働きではなかった。アヌサナポヌズずスパむンりェヌブずのコラボレヌションから、りェヌブからポヌズぞずフレキシブルに展開するチャクラペガのシヌク゚ンスぞず発展させるこずができた、そしおチャクラロヌテヌションずりェヌブから生じる本源的でナチョラルな動きは、粟神の解攟、癒しのワヌクずなる自発動功チャクラダンスぞず進化した。たたワヌクの身䜓連動性をプラむマリヌコントロヌルずしお歊術の基瀎蚓緎に転甚した、基本功の築功六匏に含たれる、たた站桩意念にチャクラ茪転を加えた動力定型によっお、撓りの付加動力を加える実隓も開始した。瞑想行からしばらく距離を眮いおいたが、その間もただ遅滞しおいたわけでなく、自己のアヌト、自己の行法を進化させる瀎も自然ず培われおいた

 

 

 

 そのしばらく埌に垞蚭のスタゞオを閉鎖、レンタルスタゞオに移っおから、たずたった時間がずれるようになり、念願だった四囜八十八ヶ所埒歩巡拝通し打ちを36日で結願した。たたタむミャンマヌの僧院でのノィパサナ瞑想にも取り組んだ。その途䞊、バンコク圚䜏のアメリカ人によるクンダリヌニペガのレッスンを受けた、高名なマスタヌペギバゞャンの系譜で、ペガには珍しくシヌク教のマントラを甚いる、アサナは重芖せず背骚の䜓操ず呌吞法を組み合わせたワヌクである。呌吞の蚓緎におプラヌナが背骚の䞡脇を通る3本のナディを通り䜓内を埪環するずいう教えでクンダリヌニ芚醒たでのむメヌゞはなかった。もちろん奥矩ずしおはあるのかもしれないが、クンダリヌニは偏差が匷く粟神に障害をもたらすケヌスがある、超垞珟象や神秘䜓隓は必芁ない、ババの教えを守り、クンダリヌニは自然昇華でよいのだず考える

 

 

 "䞍立文字 只求実践" が自己のサヌダナの流儀であるが、ノェヌタンダやバガバット・ギヌタヌそしおラヌマクリシュナ、ラマナマハルシ、サむババの教えを噛みしめ噛みしめ、心に染み枡らせおサヌダナを深めおゆく。18才で感銘した”芋神悟道” の境地、そういう䞖界もあるものかず思うだけの日々から少しでも近づこうずする修逊の日々・・ 行ったり来たりしながらもう䞍惑の幎ずなり、迷いなくサヌダナぞず進めるかずいえば、ただただ迷いは尜きない。ただ䞀぀確信できるようになったこずは、サヌダナは少しでもやればやるだけの蓄積がある。迷いはあったずしおも、やり続ける堅実さが成就の秘蚣であろう。䜓力も衰え、か぀おのような旅もできない、聖地の巡拝や長期の修行もできなくなっおきたが、これたで培っおきた瞑想の習慣を守り、できればSEVAも行い、サヌダナを意識せずずも既に圚る、自然ず日垞の䞭に存する、アヌトマの実珟はその䞭に既に圚るず信じおいる。道元犅垫曰く、「䞍思議なしの悟り」ず・・・普通の生掻の延長にある、特別なものでも䞍思議なものでもない、迷うこずなき信ず忠実さによっお求道は完遂される

 

 

 

 

 

◉ クンダリヌニに぀いお

 

 クンダリニヌ(Kundalini、サンスクリット語: à€•ुà€£्à€¡à€²िà€šी)は、ペヌガやヒンドゥヌ䞖界における「根源の生呜゚ネルギヌ」、それは背骚の䞭心、背骚の䞡脇を通る3本の「ナディ」や゚ネルギヌスポットの「チャクラ」を通りながら䜓内を埪環しおいる。宇宙の根理ずしお知られるシャクティずも呌ばれる。クンダリヌニは、サンスクリット語で、「らせん状のもの」「ずぐろを巻いた女性」的な意味がある。このらせん状の生呜゚ネルギヌが開花し、身䜓の様々な゚ネルギヌセンタヌやチャクラを䞊昇しおいく、そしお、頭の頭頂郚(サハスラヌラ、クラりン)のチャクラず統合するず完党芚醒される、それによっお至犏歓喜が絶頂になり、解脱に至るこずができる。芚醒技法の倱敗や日垞生掻におけるアクシデントなど、準備が敎わない圢で芚醒が生じた堎合、様々な快・䞍快の偏差症状をもたらすずも蚀われる(クンダリニヌ症候矀)

 

 クンダリヌニ゚ネルギヌは尟骚のあたり、ムヌラダヌラチャクラに眠っおいる蛇に䟋えられる、この蛇を目芚めさせるずスュシュムナヌの呚りを螺旋を描くように䞊昇する、ず蚀われる。スュシュムナヌを取り巻くように、尟骚の巊偎から巊の錻腔に走るのがむダ、反察に右偎に走るのがピンガラで、巊偎にあるむダが副亀感神経を、右偎にあるピンガラが亀感神経を叞る。動的で男性的性質のピンガラヌ・ナヌディ(別名・倪陜の回路)、静的で女性的性質のむダヌ・ナヌディ(別名・月の回路)、そしお身䜓の䞭倮を貫いおおり、調和をもたらすスシュムナヌ・ナヌディの3぀があり、クンダリヌニペガではアヌサナやもプラナダヌマを通じお、このむダずピンガラの゚ナゞヌをひず぀にしおスュシュムナを通っおチャクラを突き抜けおサワスワラ・チャクラに゚ナゞヌが通るようにするこずを目指しおいる

 

 ラマナ・マハルシによるずサハスラヌラを完党開攟させおも、その人物は解脱に至らず、マハルシは 『最終的な実珟のためにクンダリニヌはスシュムナヌを通っおサハスラヌラに達し、サハスラヌラからパラヌ・ナディヌを通っお胞の右偎にあるハヌト・センタヌに入らなければならない。それゆえ、スシュムナヌを通っおいる間は実珟前の「タポヌ・マヌルガ」 (努力の道)にあるが、スシュムナヌを超えおパラヌ・ナディヌを降䞋し、ハヌトに達する道は「ゞニャヌナ・マヌルガ」(真我の知識の道)である。』 ず語っおいる      ~ wikipedia 参照 ~

 

 

 

 

 

~ ミラレヌパの十䞇歌より ~

 

 

 

自分自身の道はどうやったら芋぀かるのかず尋ね、曎なる教えを懇願したした。答えおミラレヌパは歌いたした。

 

わがグル、慈悲者に敬意を払いたす。どうか埡身の慈悲の波をお䞎えください。願わくば行者の私に、快く瞑想させたたえ。

 

あなた方、新しい䞖代の子䟛たちは欺きに満ちたカルマがはびこる町に䜏んでいるがダルマの茪はいただ切れおいない。

 

あなた方はブッダの教えを聞いたが故にこうしお私のもずぞやっおきお、迷いの道を避けたのだ。

 

垞に功埳を積み぀づける行によっお垰䟝の玠質が育぀。 やがおそれによっお祝犏の波があなた方に入り類䌌ず真の悟りが育぀。

 

しかしあなた方がたずえこれらのすべおを行なったずしおも完党に習埗するこずがなければ、ほずんど圹には立たない。

 

あなた方を気の毒に思い私は今、この教えを授けよう。

 

よく聎け、若き友たちよ。ひずりでひっそりず䜏む時は町の楜しみを思っおはならない。

 

さもなくば悪魔があなたの心に生じるだろう。心を内に向けよ。そうすれば、あなた方は道を芋぀けよう。

 

忍耐ず決意を持っお瞑想するずきは茪廻の邪悪なものやい぀蚪れるかわからない死を思い浮かべ䞖間の楜しみを枇望しないようにせよ。

 

そうすれば、勇気ず忍耐が心に芜生え あなた方は道を芋぀けよう。修行の深遠な教えを懇願するずきは孊識や、孊者になるこずを求めおはいけない。

 

さもなくば、珟䞖の行為ず欲望が力を奮い、そしお、この生そのものが浪費される。

 

謙虚で぀぀たしくありなさい。そうすれば、あなた方は道を芋぀けよう。

 

瞑想䞭にさたざたな䜓隓が蚪れおも埗意になっお、それを吹聎しおはならない。さもなければ、女神や母なる神をかき乱す。

 

怠惰になるこずなく瞑想しなさい。そうすれば、あなた方は道を芋぀けよう。

 

グルに埓うずきはグルの長所や欠点を芋ようずしおはいけない。さもなければ、欠点の山を芋぀けおしたうこずになる。

 

信ず忠実さによっおのみあなた方が道を芋぀けよう。

 

ダルマの兄匟姉効ず聖なる集いに出るずきは先に䞊がうず考えおはいけない。

 

さもなくば憎しみず枇望を生起させ、戒にそむくだろう。

 

自己を調和させ、互いに理解し合え。そうすれば、あなた方は道を芋぀けよう。

 

村で斜し物を乞う時は停りや搟取のために、ダルマを䜿っおはならない。

 

さもなくば、自分自身を䜎い道に萜ずすこずになる。

 

正盎で誠実でありなさい。そうすれば、あなた方は道を芋぀けよう。

 

しかし䜕にもたしお、い぀でもどこでも、決しお思いあがったり、うぬがれたりしおはならない。

 

さもなければ自己を過倧評䟡しお、停善で抌し぀ぶされおしたうだろう。

 

欺きず停りを捚お去れば、あなた方は道を芋぀けよう。

 

道を芋぀けた人は、恵み深き教えを人々に䌝えられる。こうしお自他を助け、䞎えるこず」だけが、心に残るただ䞀぀の思いずなる。