column7 2020

 

2020.11.09

 

 

 

 ★  タイマッサージで腱膜炎に... (( ;∀;))

 

 

 

 昔々30年ほど前であるが、様々な徒手療技を自ら体験してその長所短所を学ぶというフィルドワークをしていた。海外では中国を中心に台湾香港及び東南アジアからインドトルコギリシャに至るまでその土地の民間療法を被験して、自身の療技の参考にするワークだった

 

 タイマッサージもその対象の一つとしてバンコクはもとより北のチェンライや東のウボンラチャタニ、南のヤラーなど多くの地域で施術を受けていた。地域による技法体系には差異はなかったが、若干の違いは感じられた。ストレッチ技はほぼ同じだが、押圧のやり方は人によって違いがあり、ツボを意識してるのか筋腱を意識してるのか統一感がないように感じた。そこで一歩進み基礎だけでも学んでみるかとチェンマイとカトマンズで10日間ベーシックコースを受講した。座学は解剖学も経絡医方もなく、センというエネルギーラインについて説明を少ししただけですぐに実技の練習に入った、押圧技は筋腱の弛みを促す方式で、「点」より「面」で圧するやり方、足裏や肘膝を使うものはそれが顕著だった。指圧系の手技は、浅部圧でツボの捉え方が全く不十分であった。殊に硬い腱を腱引きのように強引に圧すもの、しかも引手がない片圧しなので痛い割りに効果が薄いので尚のこと受けるのが苦痛であった。ただ足裏を用いて太腿の筋肉を平たく伸ばす技法等はそれなりに効果を感じたので、今でも時々用いている

 

 

 

 

 そんな頃、軍政で鎖国していたミャンマーが事前ヴィザの取得で入国できるようになり、早速渡航することにした。目的の一つはビルマ式マッサージを受けることだった。しかしヤンゴンの街中を歩いてもマッサージ店を見かけることなく、有名な仏教遺跡があるパガンでやっと出会うことができた。今では周游バスやレンタルバイクがあるが、当時は貸自転車しかなく炎天下でぶっ倒れそうになりながら遺跡巡りをしているとヤシの葉屋根の掘立小屋に ’ MASSAGE ’ の張り紙を見つけた、熱中症目前だったのでとにかく休憩しようと中に入ると床は土埃のする土間で粗末なベットの端に初老のおじさんが座っていた。水を一服休憩後に彼がマッサージやるかと聞くので二つ返事で受けてみることにした

 


 実際に受けるとタイマッサージに比べてバリエーション豊富な押圧技があった。主に親指腹を用いるタイ式に対し、こちらはそれに加え人差指中指の指頭や指角で直圧揉圧震圧をするスタイルで、ツボへの意識はより明確な感じがした。ストレッチは最後に軽く流す程度であったのも気に入った。術後にこの老施術家との会話の中でいくつか面白い話を聞けた。彼の話ではこれは父親から学んだ家伝の技で、ビルママッサージの代表的な技法かどうかはわからない、ただ他所のものともベースは同じであろう。というのもインドから仏教が伝来した時に一緒に付いてきたものの一つ、ブッダのトリートメントだから・・・と

 

 

 この話をうけて彼に 「それでタイ式とビルマ式は同じなのですね」 と言うとウンウンと頷きながら 「以前来た外国人にタイマッサージとの関連について聞かれたよ、昔から交流はあっただろうが・・」。彼曰く、インドからビルマへ仏教が伝わりそしてラオスタイカンボジアへ伝播していった、ブッダのトリートメントもインド⇒ビルマ⇒タイへ伝わった、観光大国タイに対しミャンマーを訪れる外国人は少なく、発信される情報も少ない、タイの方がなんでも有名になるのは仕方なかろう・・・とタバコの灰をポンポンと地面に落としながら淡々と話された。その後も数ヵ所でビルマ式の施術を受けてみたが、手順はほぼ同じでストレッチ少なめでツボ系の押圧であることは変わらなかった、ただ彼以上の術式を受けることはできなかった

 


 タイマッサージ系統についてある程度の被験調査ができてからは、頻繁にマッサージ店に通うことはなくなった。治療活法としての技、つまり痛み不調をケアする整体術よりも一種の慰安、今風に言えばエステ系の技法がメインであるとわかってから関心がなくなったのである。ただインドなどの中継地としてタイに寄った際に、時間次第だが、帰国前の締め行事として受けることは続けていた。そのことで予測もしなかった大きな災禍に見舞われることになったのである

 


 10数年前の某日、バンコク経由で帰国する最後の夜、マッサージを受けることにした、どの店でも変わりなかろうと適当に宿から近い店に入った。男女のスタッフがいたので男性を指名した、女性のマッサージはプレスが弱いのであまり好きではない、女性に揉んでもらいたい人も多いがまあそれは別の意味なのであろう。しかしこの選択によって半年以上にわたって激痛にもがき苦しみことになろうとは想像だにできなかった

 


 この男性の施術は、最初の1分でハズレだったことがわかった、それでも丁寧にさえやってくれればいいのだが、タッチも雑で気持ちのよいものではなかった。ポイントを外すことが多く、首肩の施術にきてもう我慢できなくなりココを圧してくれと要望することになった、これでもしかして気分を害したのか・・ けっこう乱暴に右足踵をグリグリと押され、「ジェップジェップ เจ็บ  เจ็บ(痛い)」と言ったのに止めてくれず、思わず足を引いて逃れるほど痛かった。踵は丈夫なようで骨までの肉厚が薄く実は痛めやすい・・まったく酷い施術をするもんだと憤慨したが、文句を言うほどタイ語の語彙がないので英語で言っても " 微笑みのタイ " でごまかされてしまった

 


 その日の晩はちょっと違和感があり、翌日の朝もそれが残っていたが、いつも通り空港まで行きそして帰国の途についた。地獄の日々が始まったのは、次の朝からであった。帰宅する頃にはもう足の事も忘れる位だったが、翌朝起きると足裏が何か突っ張っている、立ち上がろうと床に足を着けると今まで味わった事がないトンデモナイ激痛に襲われた。全く立てない、トイレへも四つん這いで行く始末で、一体何が起こっているのかわからない。踵を触ると若干の腫れがある以外は異常は見当たらない、とりあえずストレッチで足裏を伸ばし、壁を支えに片足で立ってはみたが、少しでも右足に体重をかけるともう激痛が走る、痛みに耐えながら壁づたいにしばらく歩くとある程度ましになった。数時間後には杖をついて歩けるくらいになったので、当面は冷却しテーピングで保存して様子を観ることにした


 


 

 3日4日5日... と経過しても朝一番の激痛は変わらない、昼を回る頃に痛みは少し引く、骨の損傷はないと考えられたが、なかなか回復しないので1週間後ついに病院に行くことにした。整形外科でX線エコー検査を受け、骨は問題なく踵骨棘付近の腱膜に炎症が起こっている ” 足底腱膜炎 ” と診断され、低周波治療と痛み止め湿布を処方された。診断がついたのでひとまず安心はしたが、原因は間違いなくあのタイマッサージだ。既に帰国していた身でもあり、不運を嘆くしかなかった。ただ今にして思えば自分が受け取るべきカルマであったのかとも思える。故事曰く、「カルマはカルマによってのみ拭い取れる」と云う

 

 

 病院では低周波電気をあてるだけだったので、通院もすることなく自己治療に徹することにした。といってもストレッチと周辺筋肉をほぐす指圧推拿、腫れに対する冷却くらいのものだったが、日々根気よく続けた。早く治ってくれとの願いに反して劇的に回復することはなかった、起床直後の痛みは数ヶ月経っても消えることはなく、痛みに顔をしかめる度にあのマッサージを受けたことを悔やんだ。その中でも光は少し見えてきた、痛みを我慢しながら動いているうちに、昼頃にはある程度普通に歩けるようになる、もちろん走ったりはできないが、なんとか普通に仕事はできるようになった。しかし完全に痛みが消えて武術などのトレーニングができるまでに6ヶ月もかかることになった。長く生きていると首肩腰膝等いろいろ痛めることはあるが、これまでこんなに長く痛みに苦しめられたことはなく、その原因を作ったタイマッサージに大きなトラウマを抱えることになった


 

 

 これ以来タイマッサージは怖いという意識は抜けがたく、その後タイを訪れてもけっしてマッサージを受けることはなくなった。もちろんタイマッサージのすべてがとんでもないものではないと頭ではわかるが、身体の感覚はそうはいかない。たまたま酷い施術を受けたが、優れたスキルをもった人もいることだろう

 



 タイマッサージのスペシャリストである友人が、最近のマッサージ学校の様子をSNSで発信してくれている。それを見るとどうやら30年前の頃とは雲泥の差で技術の発展があるようだ、センについても東洋医療の経絡が導入されているようで解剖学を含んだ経穴図テキストが使われている。タイマッサージで物足りなく感じていたツボへの明確な意識も近年は改善されているのであろう。自分が知っているものイメージしてるものではもはやないのかもしれない。他の施療理論及び技術を取り込んで日進月歩進化を遂げているのだろう。それを知ると希望はある、いつの日かタイマッサージで受けたトラウマを消し去ってくれるタイマッサージに出会えることがあるかもしれないと... 。