2021.04.23
★ 母国の文化を学びて外国の文化に勤しむ
海外で暮らす旅する人たちのあるある話として、日本の文化、歴史、慣習について聞かれた際に、明瞭に答えることができず微妙な空気になってしまったというのがある。海外で会う人からすれば、自分が日本の代表者に見えるので、当然の如く日本という国や文化全般について様々な質問を受けることになる。ただ日本では自国文化の 「学び」 が片隅に追いやられているので、日本に生まれ育っても学科の日本史で学ぶ薄く浅い知識しか持ってないので、外国人に質問されても相手が求めているレベルでは答えることができない。彼らは自国の文化を深く理解した上で、同じレベルで日本文化を知りたいと思い質問しているのに、自分は彼らと同等のレベルで日本という国や文化について語ることができないのである
あらゆるところで推し進められる多様性多文化共生は、他国では母国の文化の土台があって海外の文化と交流するのが基本なのに、日本だけはヘンテコな解釈になっている。外国の文化を尊重するとは、日本人が外国の文化を学び理解し受容する、そして外国人が日本の暮らしに馴染み易くすることが多文化共生であるとされる。官民一体でそんな施策を推し進められれば自国文化に冷淡になるのも仕方なかろうか。戦後リベラルマルキストたちのミスリードで、気づかないうちに特定の思想が刷り込まれているのは本当に空恐ろしいことだ
こんな日本破壊工作が進む中にあっても、海外に行けば日本文化に関心を持つ外国人と触れ合うことになる。その時に初めて自分が自国文化について関心がなかったことを知ることになる。海外の知己と対等な関係を築くには、お互いが同じレベルで相手を理解しようと歩みよることから始まるのに、自国の文化を深く知らないと、相手からの質問にも答えることができない上に、相手の文化も本当の意味で深く知ろうとすることができない。これでは、異国の人と本質的な人間関係を築くことができず、真の意味での国際人になることはできない。自国の文化を知ることは、他国の文化を理解する為の思考基点を持つことになり、他国の文化を尊重し良好な関係を築く精神的な基盤を得る。世界では、母国の文化を知らないのは文化基盤のない人間とされ、アイデンティティが確立されてない子供と見なされる
アイデンティティとは、平たく言い換えれば、「自分が自分である証」ということ。身分証明をIDカードと言うが、これはアイデンティティから来ている。最近の若者が良く使う、自分探しは自分が何者かがわからない、つまりアイデンティティを見失っているということになる。国際人になるためにはなぜ自国の文化を知ることが必要なのか? 国際社会の中で、自分を見失った状態にあっていいのだろうか、母国の文化の基盤があってこそ国際社会の中で自分の位置がわかり、相手の立ち位置も理解できるようになり、真の国際人になれるということではなかろうか....
他文化の人々とのコミュニケーションを指す言葉で、異文化交流というのがある。日本と違う文化や常識に触れ、違いを認識できるようになれば、日本の一般常識が外国では非常識だった、ということも珍しくはない。こうした “ 日本の当たり前 ” が当たり前じゃないと気づければ、多様性を認める力もつくし、新しい気付きや価値観が生まれ、自分の国や自らを振り返るきっかけになる、異文化交流によって自らの価値観が変わる人さえもいる。異文化交流をすると、外国人から日本に関する質問をされる、自国文化のアイデンティティを聞かれた時に答えれるためには、伝統にしっかりと根付いた母国の文化についての最低限の知識経験があることが望ましい
「日本文化で人の力を最大化する」をミッションとした一般社団法人日本文化のすすめのWEBでは、以下のように和文化を学ぶ利点を紹介している ....
■ 仕事で海外に駐在する方が日本文化を学んでいてよかったこと
1、日本人としての価値観(自分の軸)を明確にして海外の方とコミュニケーションすることが出来た
2、ビジネスマンとして「自国の文化」を語れるようにしておくことで、社交場での話をすることが出来た
3、自分が海外の方のマネジメントで悩んだときに、日本の古典などを読み直すことで「異文化を受け入れる」精神を持って接することが出来た。
■ 会社を経営している方が日本文化を学んでいてよかったこと
1、自分の重大な経営決断をする時に、自分なりの答えを見つけるために古典を読み直し先人のヒントを見つけることが出来る
2、座禅や茶道をやっている時に、自分の心や頭が思いっきりクリアになっている気がする。非常にリフレッシュして仕事に臨むことが出来る
3、日舞や能は全身を使うため、運動やジムに行く代わりに体験をしている。おかげで非常に姿勢もよくなって、日本のことも勉強できて一石二鳥など日本文化を自分のリフレッシュや重要な決断の前に自己と向き合うために使っているような方も多くいた
また、海外でも活躍している経営者の方と話をすると 「欧米では自国の文化を学んでいるのが当たり前、なぜ日本人が日本のことを体験し、学ぼうとしないのかが理解できない」 という話がよくでるという。。
長期滞在したインド中国タイのほか50数ヵ国を旅したが、どの国の人も自国に誇りを持ち自分たちの価値観で物事をしっかりとらえているように感じた。そういう目を養うには、母国の文化をちゃんと知ることが必要であると思う。日本文化というものは、ひとつひとつが本当に奥深いもので、気候風土地理環境歴史文化のなかで熟成されてきたものだ。日本文化のなかには日本人として生き抜くための知恵や学びが沢山あるのである
自分の経験では、海外での様々な交流において日本の古武術や医術、健身法などの経験知識が大いに役に立った。つまり海外の伝統文化を学ぶ際に、しっかりした母国文化の基盤があれば、自分にとって何が役に立つ立たないかという種々選択が合理的に行うことができる、また互いのスキルを交換学習することもできるので、交流の幅が各段に拡がることになる。例えば中国では柔術等との交換学習によって武術諸派との交流ができたし、活法指圧の基礎があったので、中国の推拿やタイマッサージ、インドアーユルマッサージなど伝統医療を学んだ際にも、しっかりと比較検証しながら長所短所その本筋を見極めて修習することができた。そしてもちろん日本文化について質問された時も堂々と自信を持って答えることができた、それによって相手が尊敬の態度で接してくれたことも一度や二度の事ではなかった
ただ日本人によくありがちなのだが、海外の文化にドはまりしている人ほど母国の文化に関心が無い人が多い・・ 中国の武術をやってる人には日本武術を全くやってない人もいる、正直なところ日本武術の方が優れている点もあるのに気づけない、本当に勿体ないことである。インド舞踊やベリーダンスなどやっている人にも日舞など全く知らないという人がいる。言葉は悪いがこういう外国かぶれの人ほど母国の文化に冷淡なのはなぜだろう?我が国は皇統2800年の国、数千年にわたって培われた文化的特性には、固有の身体構造運動性能そして精神<魂>が刻み込まれている。母国の身体文化にはそれらが含まれており、適する身法があり、自己のポテンシャルを発揮させやすく構成されているのであるから学ばないのがもったいないのである

もう一つ海外あるある話で、「あなたの宗教は何ですか?」 と聞かれて 「無宗教」 と答えると相手が怪訝な顔になったというのがある。これは当然な話で外国では無宗教=アナーキスト無政府主義者と思われ危険人物とみなされる。宗教離れが進む欧州でも信仰はないが、自分はキリスト教と答える人がほとんどでイスラム国家で、無宗教だと言うと入国審査で拒否されることだってある、インドではヴィザの申請用紙に記入項目があり宗教N/A と記入すれば発給されない。一般的な日本人の宗教は神道+仏教、初詣に神社に行き故人の供養にお経を唱える、無宗教ではないのであるが、近年リベラルコミュニストたちが薄皮を剥がすように壊しにかかっている、除夜の鐘が煩いとクレームをつける連中もそのお仲間である。日本の伝統文化習慣がとにかく嫌いで難癖つけてやめさせようと日々工作に忙しい
若き頃学んでいた神道楊心流柔術は、その名のとおり技法思想体系に神道の影響があった、また稽古も神社の境内でやっていた、そのためパワースポットブームのはるか前より神社詣でが趣味となり、地方へ旅行に行った時も現地の神社を訪れることが楽しみの一つとなった。日本の文化伝統は知れば知るほど奥深く、生涯にわたり学んでいける。若き日に興味がなかった文化的慣習が妙に感性にマッチされていくのはなぜだろう。年を重ねれば重ねるほど感じられる古刹の風景の美しさそして儚さ・・ 民族の感性が知らぬ間に根付いていたのだろうか、母国の文化を学んでいたおかげなのか・・ いずれにしても学びに遅きはなし
訪日外国人旅行者6000万人を目指す政府の施策には大反対だ。外儒頼みの産業が経済の柱となった国は歴史上全て滅びている。インバウンド依存が強くなれば外国の顔色を伺う政策に偏るだろう。外国人観光客はそこそこの数でよい、本当に日本が好きで日本の文化歴史に興味がある人だけに来てもらいたい。落書きをしたり、文化遺産を傷つけたり、神社に火をつけたり、我が国の文化風物に何ら敬意もない不良不逞の輩は要らない。そして受け入れる日本側にもやることがある、母国の文化に親しみ勤しむ人を増やすこと、海外の人が旅行で何を楽しみとするのか?買い物?観光?今のトレンドは体験型の旅でないのか、最大の楽しみは現地の人々との交流を通して生の文化を体験することにあるのだろうと思う
