
尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記した19世紀後半の英国製とドイツ製の地図が新たに確認されている。いずれも台湾との間に国境線が引かれ、明治28(1895)年に領土編入する以前から欧州では尖閣諸島が日本領であると認識していたことを示している

地図は「スタンフォード地図店」(英国)が1887年に発行した「ロンドン・アトラス」と、ドイツ地図発行人のシュティーラー氏による1875年版の「ハンド・アトラス」。尖閣諸島の西側に領土・領海の境界を示す点線が引かれている。ロンドン・アトラスは豪州の国立図書館などに所蔵されている。尖閣諸島をめぐっては、明治政府が明治28年1月、10年間の調査により清国を含むどの国の支配も及んでいないと確認し、沖縄県への編入を閣議決定した
The Senkaku Islands are referred to here as the “ Senkaku Group of Islands ” and “Uotsuri Island”. They appear as part of Okinawa.
[ From the Ministry of Foreign Affairs of Japan website ]
Senkaku Islands are territories peculiar to Japan
尖 閣 島 是 日 本 領 土
歴 史 上 没 有 魚 釣 島
◎ 731部隊はを防疫機関だった。
世界をパンデミックに陥れたコロナウイルスの例を見てもこの地球上には多くの未知のウイルスが生息しており、人類存続のためにはこれらの医学的研究は欠かすことはできません。
またそれらが兵器となる恐れも依然としてあり、それらを防ぐ研究も世界各国で行われています。ロシア(ソ連)は化学兵器細菌兵器核兵器を現在においても所持しており、それによって他国を恫喝する専横国家です。旧満州はソ連と国境を接しており、その防疫研究にあたる731部隊がありました
2007年に機密指定解除された731部隊の極秘文書は、終戦後、米軍が奪っていったもので、米国政府(CIA)の731部隊に関する様々な研究データが網羅されています。それによると、731部隊とは、日本の防疫給水部であり、その中身は、毒ガスや細菌兵器の研究機関でした。それらを研究することは、当時では常識的なものでした
当時、セブランス医大(現・延世大学校医療院)に在学中だった朝鮮人学生も731部隊で勤務した後、韓国の医療界で活躍しました。韓国の大学医学部教授、製薬技術者などは、過去に731部隊で経験を積んだ人たちが多数いました。
731部隊の隊長である石井四郎は「石井式ろ水機」を発明し、自らの隊員たちの前で、自分の尿をこのろ過機に通し、きれいな水に置き換え、それを飲むデモを行いました。これは防疫給水731部隊の役割と研究でした。
防疫給水部隊は東京新宿区戸山に存在した陸軍軍医学校の下部組織、陸軍防疫給水部でした。この組織には、731部隊の他にも、北支那防疫給水(北京・第1855部隊)、中支那防疫給水部(南京・第1644部隊)、南支那防疫給水部(広州・第8604部隊)、南方軍防疫給水部(シンガポール・第9420部隊)などがありました。
これを見ても分かるように、防疫給水部隊の研究活動は当時、広く行われており、731部隊だけが異常な研究を実施したということは、常識的に考えても信じがたいことです。
・サンダースレポート とトンプソンレポート : この2つのレポートには、人体実験を行ったとする記述はありません。「細菌兵器の実用化には至らなかった」との結論を下しています。
・フェルレポート : フェルレポートには、人間を使った臨床検査として、細菌の研究が記載されていますが、フェルレポートの存在自体が確認されておらず不明瞭と言えます。また、731部隊は衛生部隊なので、細菌を根絶するための研究を実施しています。
・ヒルレポート : ヒルレポートには、一つの分野に限って、人体実験を行ったとの指摘がありますが、これは今で言う臨床試験のようなものであり、残酷な人体実験に関する記述などはありません。
これらレポートは、731部隊が人体実験を行ったとされる文書として知られていますが、「生体解剖」「凍傷実験」「真空実験」「中国人の大虐殺」などを証明する記述を確認することはできません。そして、実際の731部隊が毒ガス、細菌兵器の研究機関だったことを証明しています。
つまり、残酷な人体実験を行っていたという証拠は一つもなく、生体実験をしていたと言う主張は想像に過ぎないということです。中国と韓国の主張と証拠は、歪曲と捏造と言えます


チベット国旗 ; 1910年代にチベットに滞在していた日本人チベット研究者・青木文教は自著『祕密之國 西藏遊記』(内外出版、1920年(大正9年)10月19日発行)において、チベット軍の司令官と青木が戯れとして、それまでの軍旗でも使われていたチベットの記号(雪山・唐獅子・日・月)と、大日本帝国陸軍が軍旗として考案・使用していた旭日旗に擬似する意匠(旭日)を組み合わせ、新しく図案を作ったものがたまたま新しい「軍旗」として採用されたと記している。のちにチベット政府ガンデンポタンにより正式に国旗として採用された



