- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
TAKESHIMA Land
is Japanese Territory
Dokdo is a forgery of Korea, No existence of Korean Dokdo in history !!
日韓双方が自国有利の証拠を出すなかで、利害がない第三者機関の客観資料が最重要な証拠資料となる
1953年、1954年に米国政府の製作航空図を見ると、鬱陵島と竹島の間に斜めに短い点線が描かれており、西北は 'KOREA' (韓国)、南東は 'JAPAN' (日本)と記載されている。1952年のサンフランシスコ平和条約発効直後、米国政府が作った地図で、韓国が主張する独島 ' リアンクール岩礁 ' 竹島は日本領と記載されている

この点もラスク書簡で既にはっきりしているのである。ラスク書簡とはサンフランシスコ講和条約の準備をしていたアメリカに対し、韓国が竹島などの領土要望書を出したものに、アメリカのラスク氏が「この普段無人の島嶼(竹島)は、我々の情報によれば、韓国の一部として扱われたことは一度もなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にあります。この島は、韓国によって権利の主張がなされたことが、これまで明らかになっていません」と完全に否定した公式な回答書である
国際司法裁判所への提訴を頑なに拒否する韓国は、裁判で公平公正に審査されれば、嘘でっち上げが白日に晒され間違いなく負けることがわかっているからである。史料を精査すれば彼らの主張する独島とは実は鬱陵島のことであったのが明白となる。米軍占領下で丸腰無防備の日本から戦後のどさくさに紛れて泥棒の如く掠め盗った島が ' リアンクール岩礁 ' 竹島である

明の古地図でも韓国の主張する東海など存在しない。日本海は古くから日本海と呼ばれていた。朝鮮は中国の属国と記されている

1965年日韓基本条約が国際法に則り締結された。両国の外交関係の樹立、過去の韓国併合条約などの失効などを約し、日本は韓国を「朝鮮半島唯一の政権」であると認めた。そして経済援助として日本は韓国に無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドルを支払っている。計8億ドルである。3億ドルの無償分に絞ってみても、(円換算)3億ドル×360円(当時1ドル=360円)=1080億ドルにもなる。8億ドルという額は当時の韓国の国家予算の2.3倍であり、有史以来戦争に負けた敗戦国でさえもこんなべらぼうな賠償金を払った事例はない。まだ更に日本人が朝鮮半島に残した53億ドルとされる資産すべてが返還されることなく韓国政府に譲渡されているのだ。まだある、産業振興のため無償で多くのノウハウを与え、特許料を免除し、「漢江の奇跡」に導いた。現在の韓国の発展は全て日本からもたらされたものである
戦後間もなく焼け野原の中で何もかも失い食べ物も乏しくひもじい思いをしながら一生懸命に働き復興を目指していた時代、8億ドルもの大金を絞り出すのにどれほど苦労したことであろう、当時の国民の心情を考えれば本当にいたたまれない気持ちになる
・ 日本から韓国への無償の技術供与
松下電器産業→亜南電器:カラーテレビ、オーディオ製品に関する技術
日本ビクター→金星社:VHS方式、VTRの特許及び製造技術
日本ビクター→サムスン電子:VHS方式、VTRの特許及び製造技術
東芝→韓国電子:テレビ、オーディオ用バイポーラーICの設計
製造に関する技術及び量子技術の受託派遣
シャープ→サムスン:半導体ICの製造技術
日立精機→起亜機工:NC工作の製造技術
小林コーセー→ジュリア:化粧品の製造技術
ヤンマー→双竜重工業:中・大型船舶用ディーゼルエンジンに関する技術
東芝→金星通信:X線診断装置、超音波診断装置に関する技術
キヤノン→ロッテ産業:高性能乾式複写機に関する技術
ソニー→現代電子VTRの製造技術
日立造船→韓国重工業:船舶用エンジンの製造に関する技術
日本精糖→第一製糖:工場の自動化に関する技術 他多数膨大
朝鮮にこういう故事があります... 失職して落ちぶれた両班を哀れに思った人が食事を与えていた。その両班が復職して大いに出世した。そうしたら、その両班は郎党を率いて「よくも恥をかかせてくれたな!」と怒鳴りつけ、食事をくれた人を袋叩きにした。この袋叩きになった人が今の日本です。恩に感じるどころか恨みに思う民族、だからこそもう二度と関わるべきではないのです

「THE WORLD ON SIR J. HERSCHEL'S PROJECTION BY JOHN BARTHOLOMEW. F.R.G.S.」 1881年、スコットランドの地図製作者ジョン·バルトロミュー作 Sea of Japan 日本海と描かれている 日本海の呼称はポルトガルスペインオランダイギリスロシア等 16-18世紀にこの海域を訪れた国々が制作した海図から始まった。1990年頃から韓国がゴリ押しする東海とは歴史経緯が全く違う
☆ 李朝時代に欧米人が見た朝鮮人
①彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。(17世紀後半、ヘンドリック・ハメル)
②耳にしたことを嘘と誇張で潤色して人に話す。朝鮮は流言蜚語の国。(1897年、イザベラ・バード)
③その嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず悪びれる様子がほとんどない。(1904年アーソン・グレブスト)
④朝鮮ほど贈賄や腐敗がよく見られる国もないだろう。また、この半島ほどなんの理由もなくだましたり、だまされたりすることが広く行なわれている国もない。(1905年、ノース・チャイナ・ヘラルド紙)
・ イザベラバード「朝鮮紀行」抜粋
「 漢陽を描写することは非常に落ち込むことだ。北京を見るまでは、私はソウルこそ、この世で一番不潔な町だと考えていた。そしてソウルの悪臭こそ、この世で一番嫌いな臭いだと思っていた。一応、首都であるが、その粗末な姿は表現するのが難しい。二階建ての家は建てられず、推定25万人の住民は迷路のように狭い道の「地べた」に住んでいる。漢陽に芸術品は全くない。公園もない。見るべきイベントもない。劇場もない。日本や、中国の都市にある魅力が、この漢陽には全くない。古い都市ではあるが、そうかと言って、歴史的建造物もない。文献もない。宗教に無関心だから、寺院もない。」
「 官僚全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ改革に反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でも首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、これは困難きわまりなかった。朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。搾取と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。」
・第26代米国大統領 セオドア・ルーズベルト
「朝鮮は極東のすべての国で、いや、この世で最も腐敗して無能な政府の国であり、朝鮮民族は最も文明の遅れた人種だ。朝鮮人は自治に全く向いていない」
・米国合衆国大統領ハーバート・フーバー著「裏切られた自由」(1965年刊行)
「私が初めて朝鮮を訪れたのは1909年、ある日本の産業家に技術案件を助言するためであった。当時の朝鮮人は、アジアのどこにでも見られたような、この上なく無残な状態であった。法も秩序も殆どなかった。庶民は、ろくに食べておらず、ろくな衣服を着ておらず、粗末な家に住み、殆ど家財も持っていなかった。衛生設備はなく、汚らしさと卑しさが国全体を覆っていた。道路は殆ど通じておらず、通信施設、教育施設は乏しかった。陰鬱な景色に殆ど1本の木さえ見られなかった。泥棒や強盗が跋扈していた。
日本統治の35年間に、朝鮮人の生活は革命的に向上した。全く将来性がなかった朝鮮人という人材から、日本人は秩序を確立し、朝鮮に港湾、鉄道、道路、通信手段、立派な公共建築物、大きく改善された家屋をもたらした。衛生施設を設け、農業の改善を教えた。北朝鮮に巨大な肥料工場を造り、国民の食糧事情を合理的水準にまで引き上げた。裸の山には植林を行った。普通教育の制度を設け、技能を高めた。朝鮮人が着ていた埃まみれの汚れた冴えない衣服も、清潔で綺麗な色の衣服に取って代わった。」
◇ 『漢城の風雪と名士』 細井肇著
「... 韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(糞便)が場所も嫌わず狼藉と咲き乱れて居て、足の踏み場もなく、潔癖者は一見其不潔と臭気に驚くのだ。現にこの国の中央都会の地たる京城(ソウル)の如き、一名を真の帝都と綽名されて居る程で、至る所人糞あるいは牛馬糞を見ざる無しで、粉々たる臭気は鼻を襲い眼を顰める者とてない。そこで京城市内を流れて居る川の如き各戸より、排泄する糞尿を混じ、この水は一種の黄色を帯び、ドロドロになって居るなど、 実に眼もあてられぬ光景で洗濯などに使って居る。なんと鼻持ちならぬ話ではないか。毎年夏になると伝染病が流行し、その伝染病に罹る患者の多くは韓人で、 非常なる大流行を極め何千人を驚かすは珍しくない ... 」
◇ 『 朝鮮事情 ~糞食の民~ 』 1906年 荒川五郎 著
・衛生観念は全く無く、獣に近い。・肺結核や解熱として小便を飲む。いよいよ病気が酷くなると、 大便を食べる。・濁っている水だろうが、小便や 糞が混ざっている水でも平気で飲む。とにかく不潔で味噌も糞も朝鮮人にとっては一緒だ。・婦人が洗濯をしているので見てみると小便水と見分けの付かない黒い水に洗濯物を揉んだり打ったりしている。・雨が降って水が濁っても、ろ過して使うという事をしないで濁ったまま水を使う。とにかく衛生観念が無く伝染病がはびこっている。・穴で暮らしているから夏は暑いので家の外で寝る。顔の近くを大便や小便が流れているのだが、 朝鮮人にとっては臭くないらしく平気で寝る。・南京虫が多くてとても眠れない。・小便壷が家の中にあり、客がいても平気で小便をする。また、痰を吐くときは口の近くに小便壷を持ってくる。・雨が降るとこれらの不潔物と雨水が一緒になり脛の上まで浸かり、家の中の物が汚水に浸るが、洗うという事はしないでそのまま使っている。・驚くべき事に小便で顔を洗う。 肌のきめが細かくなるそうだ

・ チマチョゴリの真実… 18世紀以降、朝鮮の女性向け民族衣装「チマチョゴリ」に変化が起きた。この頃から「長男を生んだ女性は乳房を露出する」ことが習慣化したのだ。「乳出しチョゴリ」である。朝鮮の男尊女卑的な思想では「長男を生まない女性に価値はない」との考えが支配的なためかこのような風習が広まったのだ。朝鮮人の女性はこの衣装を「長男を生んで社会的義務を果たした」として誇りに思っていたのである。この習慣は1950年代まで続いた。現代の韓国人の大半がこの習慣を忘れてしまっている。わずか50年前まで続いた習慣にも関わらずである。
50年前の習慣すら忘れてしまう韓国人の歴史観は嘘に満ちている。「乳出しチョゴリ」は非難されるものではない。このような習慣はただの価値観の違いであり、これも一つの文化である。乳出しが恥ずかしいと言う価値観は西洋の価値観にすぎない。日本の男女混浴も尻出し褌も当時の文化では恥ずかしいものでも何でもなかったのである。インターネット上で「乳出しチョゴリ」の写真が広まったとき、韓国人が「こんな破廉恥な習慣は我が国にはない、中国人や日本人の捏造だ」と言ったことは大きな問題である。この韓国人の態度は、現代の西洋価値観に毒され、自国の50年前の習慣を恥じて抹殺しようとするものであり、韓国人の歴史観が如何に信用できないかを証明している
東南アジアや日本でも人気となった「宮廷女官チャングム」も完全なるフィクションである。李朝鮮では、女子が宮中に出仕すると王様と疑似婚姻関係に入るので一生外に出られない。チャングム女史のように出たり入ったりなどできるはずがない。ドラマでは李朝時代は色彩にあふれているが、そもそも顔料がなく、染色技法もないので染付ができない。清国でも日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかないのはそのためで、民衆の衣服が白なのも顔料がなかったからである。民芸研究家による「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、真っ赤なウソである。上級役人だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた
李朝は清国や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にしたのでる。鎖国であってもオランダとの交易を通じて西洋科学を学んでいた日本とは真逆の国であった。19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙たなきところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東●『晝永編』)と書いている。針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車輪は近世に西洋から輸入するまではなかった。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には水車も牛車も桶も樽もない。液体の器は全て素焼き土器を使っていた、よって遠方に運ぶことができず交易流通が発展しなかった。日本は貧乏くじを引きアジアで最も劣った国を併合し、その発展のために多額の国家予算投じた、西洋のコロニー政策を見習わなかったことが間違いだったのか・・
それと中国人からの指摘だが、清国からの使いに対し李朝の王は平伏して迎えたのが史実であり、椅子に座って対応するなどあろうはずがない。また服装の龍紋も清国が許可したのは琉球王だけで李朝の王が用いることはできなかった。ファンタジー系の時代劇であるならまだしも歴史ドラマでこれほど時代考証が滅茶苦茶なのは韓国以外の国ではないであろう
※ 高麗棒子.... 日本企業が多く進出している瀋陽ではあまり反日的な雰囲気を感じない。どちらかと言えば韓国人が嫌悪されていた。現地の人たちには今でも「高麗棒子」の悪行が語り継がれている。日本の保護下にあった満州国では警察官に朝鮮人も採用された。銃の所持は日本人巡査だけに認められ、朝鮮人警察官は、洗濯に使う棍棒を武器とし、日本の威を借り横暴な態度で棒で殴りつける朝鮮人たちを「高麗棒子」と蔑称した。日本人入植者は現地の人と協同し産業を興すよう努めたが、朝鮮人は中国農民の土地を奪い、暴力をふるったので今においても「日本鬼子」よりも「高麗棒子」が嫌いだと言う人が多い
旧日本軍がアジア地域で暴虐の限りを尽くしたというのは、半島出身者が日本軍の威を借りてやった事を全て日本人に擦り付けたのだ。旧日本軍には朝鮮系や台湾系の軍人も軍属もいたが、見分けがつかない現地人は、全て旧日本軍=日本人と認識した、しかし、旧日本軍と親しく交流のあった現地人は、わかっていた。
日本軍が進駐した地域では、「祖父から聞いたが、旧日本軍は苛烈だった。」との話が出る、その後には「特に朝鮮系日本軍が酷かった・・」との後日談が必ず付いてくる。強国に引っ付いて弱いもの虐めをする、中国、モンゴル、ロシア、日本、米国・・ 同じことを何度もやっている、世界の人達は知らなければならない、彼らだけは味方にしてはいけない、戦場に連れていっては行けないということを。。

◎ 関東大震災の朝鮮人虐殺も真っ赤な嘘 !!
真実は、①関東大震災朝鮮人殺害は、韓国側は6,000人以上と言っているが、事実は内務省調査で、震災に乗じて強盗レイプを働いた暴徒が自警団によって殺害された朝鮮人テロリストの231名で、身元は40名のみ確認できている。別に朝鮮人以外の暴徒日本人58名、中国人3名が殺されている。(朝鮮人は公園や河川敷に無断で朝鮮人部落をつくり、地震の時に、団体で火事場泥棒を行なった)
②大震災の朝鮮人死亡者は832名で600名程度が地震によるものとみられ、国は一人200円の見舞金を贈った。ちなみに6,000人以上の殺害というのは、上海の独立運動機関紙「独立新聞」社長の金承学が主張した裏付けのない嘘の数字6,415人からきていると思われる。
墨田区本所の避難所が放火され約38,000人が焼死した。その後、墨田区内で放火、強盗、窃盗、銃火薬所持法違反で朝鮮人集団が数十名逮捕されている。彼らの蛮行を隠すため、在日朝鮮人が日本人に罪を擦り付けようと在りもしない「朝鮮人虐殺」という嘘宣伝を拡散したのだ。関東一円の震災死亡者10万5千人ほどの内、約5万人がこの集団テロ行為のあった10k㎡以下の狭い地域で亡くなっているのを決して忘れてはなりません
※ 資料 関東大震災 朝鮮人暴動の真相
https://sarutobisasuke.hatenablog.com


