YOGA


 

 ヨガは身心の健康ストレス解消のエクササイズとして世界中で愛好者を増やしています。ただ物事全般に言えることですが、広範に拡がるほどわかりやすい部分のみにスポットライトが当てられます、ヨガにおいてはそれはアサナポーズ(体位法)です 

 

 

 

  ヨガの本義は  " YUJ "   その意味は結びつけるということで、精神領域と身体活動を繋ぐ身心不二の行にて、真実の自己に目覚め、魂が解放されること、つまり SAMADHI  ☆ MOKSHA  に至ることです 

 

 

 

 

 

 

 

 

  規律から解放のヨガへ ...   

 

 

 かつてアシュタンガヨガに専心していた時、アサナという鋳型に身体を嵌め込む作業をしているかのようだった。連続するシークエンスにアライメントという定型があり、呼吸数も決められていた

 

 アイエンガーにトライした時にも、ポーズの順番こそなかったが、アライメントつまり骨格を模型のように正しい " 位置 " にはめ込む作業は同じだった。現代ヨガは西洋医学の解剖学を基礎理論としている、それはいわゆる外的な定形を重視しており、有機生命体である身体と心へ向かう意識が稀薄ではないかと感じられた ...

 

 

 ヨガという語が最初に登場したのは、紀元前1000年頃にリシ(聖仙)たちが編纂したヴェーダ聖典だった。これにはアサナに関する記載はないが、同時期の古代都市モヘンジョダロやハラッパーの遺跡では、バドラーサナのような坐禅を組み瞑想する神像が見つかっている。アサナに類するものが一切見つかっていないことから古代には今のようなアサナ体操はなく瞑想のみが行われていたのだろう

 

 

 ガンガ源流ガンゴトリで出会ったヒマラヤンヨギから伝えられたチャクラワークは、アサナが内に含まれる瞑想であった、それはアサナの中に瞑想を含むとする一般のヨガとは真逆のものだった。ババは内功瞑想によってチャクラを活性化し、そこから生じる震盪波紋が全身に拡がると説明された。瞑想とヨガの区別は不要と言い、自らの修練法をChakra work or Meditation と呼びヨガとは言わなかった ...

 

 

 

 

 ~ energy circulation ~

 

CHAKRAS   YOGA

 

 ~ waving work ~ 

  

 

   "  ヒマラヤンヨギの秘法  "

 

 現代のヨガはストレッチ主体の軟体操に変容しました。その要因は20世紀初頭の英領インドにヨーロッパ文明が押し寄せ、ヨガもまた西洋体育、デンマーク体操などを基に再構築されたからです    別項「 ヨガの真実 」参照

 

 ハタヨガでもその後の新興流派でもスタイルに関わらず全てのインドのヨガは西洋体育にインスパイアされたのです

 

 結果、東洋的な内面と外面の協調統一よりも西洋流の外観成形に重きを置くようになりました。筋肉の見た目を競うボディビルなどはその典型です

   

  ただ軟体を目指すため、アナトミー(解剖学)による筋肉を意識したストレッチが行われ、筋肉腱靭帯など部分が過度に伸ばされ、その反動(伸張反射)で弾性を失い運動性能を落とします

 

 アナトミーに基づくアライメント重視の西洋方式で、古典にあるチャクラやプラーナの運用はなく、しかし理論哲学はヒンドゥーの古典思想に由来する、実際面と理論のソースがチグハグな構造です

 

 この反省から古典を省みようとヴェーダを勉強する人たちもいます。もちろん聖賢の教えを学ぶことは尊く、大いに推奨されますが、もしも理論観念に偏してしまえばヨガの本義が失われます。それにそもそも知見は行の「理」であり、「実」ではないのです。実理が行の中に一体となるのがヨーガなのです

 

  

 

 チャクラヨガは、車輪の意念を用いた身体知の練成です。スピリチュアル神秘系のチャクラの概念とは、根本的に異なります

 

 プロのクライマーでも過酷とされる標高6000M級のカイラス高地一周52kmを巡拝する  " 究極の身体派ヨギ " より伝えられしもの、抽象的な観念、宗教ドグマ、意味不明なエネルギー論など・・ 非現実要素の欠片もない身心統合のリアルワークです

 

 

 

 

 

 

 

Energy Dance  Chakra Yoga

 

 

 

 

 

  瞑想は一般的に二つの種類にわけられます。一つは、身体を動かさず(不動)に瞑想する瞑想法で、英語では「パッシブ・メディテーション」と呼ばれます。もう一つは、身体を動かす瞑想法で、動的瞑想「アクティブ・メディテーション」と呼ばれています。チャクラヨガは ' 凝念 ' を主幹とします、動のアサナ静の瞑想もその凝念が導きます

 

 

 ウパサーナ念想(意)を用いて内側から背骨の揺動を催行し、アサナに結びつけます。それは大きな動きから小さな動きへ、さらに極小に、ついに微動に、最後には不動となり、そのまま瞑想態に進みます。チャクラ瞑想はアクティブにてパッシブ、両方の要素を兼ね備えています。ヨガと瞑想は別々のものではなく「不離一体」のものなのです

 

 

 

 ヨーガ(Sanskrit: योग)という言葉が、歴史のなかで現れたのは、紀元前800年から500年の「古ウパニシャッド初期」に成立した「タイッティリーヤ・ウパニシャッド」においてです。紀元前500年ごろに、ブッダはヨガの瞑想法、アナパナサティ・ヨグを実習したと記録されているので、その頃にはヨガ技法が広く修行者らによって実習されていたのでしょう

 

 

 「ヨガ・スートラ」の第一章にこうあります。 「ヨガとは心の寂滅である。」 この言葉はヨガの本質を簡潔に説いています。もし修行者がこれを成就したなら、そのあとの章は必要でないとさえ説く師(グル)たちもいるほど。心の寂滅とは、禅の言葉でいえば無心、瞑想のなかで心の動きが止まっている禅定(ディアーナ)の状態を、別な言葉で表現しているだけのこと。瞑想とヨガは、不離不二、表裏一体なのです、瞑想の中にヨガがあり、ヨガの中に瞑想があることこそ YOGA の古義である YUJ なのです

  " 身体の知性 (Intelligence of Body) "  知性は頭だけではなく身体にもあります。身体の知性の開発は、身体の様々な場所へ意識を向けることから始まります。最初は腕がどうなっているか、脚がどうなっているかさえ意識することはできませんが、中心から末端まであらゆる場所へ「意」を拡げてゆくことを学びます。その具体的な方法が意念による仮借です

 

 

 アイエンガーヨガではこのように説明されています。『 身体の内側に意識を向ける、皮膚の感受性から始まり、身体のあらゆる場所への感受性を高め、それを生徒が常に思い出せるように指導します。さらに生徒の身体の知性が成熟しているかどうかを確かめることが大事です。生徒を見るとそれは明らかに分かります。身体が柔らかい硬いという問題ではありません。時々、柔軟性があり難しいポーズをとれる人が身体の知性があると思われがちですが、それはまったく関係がありません。身体の知性とは身体のあらゆる場所へ意識を向ける能力、身体のあらゆる場所を感じ取る能力のことです。さらには感覚をあらゆる場所へ広げる能力のことです。なぜなら、知性とはエネルギーのフローだからです。』

 

 

 

 

 YOGAはヨーガでもヨガでもどちらでもよいでしょう、エクササイズとしてフィットネスとして普及されてることも喜ばしいことです。ストレッチ一つとってもじっくりじわじわ伸ばしていけば、内側の未知なる感覚に気づきます、そのような身体知はどのようなボディワークにもあるものです。ピラティスはヨガ以上に内的な身体感性にフォーカスしますが、エクササイズと呼ばれて反発する人はいません。ヨガとは無限の真我を求めるサーダナ(霊性修行)であるという単一的な思いがあれば体操とされることに違和感を持ちます。ヨーガは個人がより解放された状態で自分の可能性を実感していくための手段とすればよいのではないでしょうか。。

 

 もちろんその本義は内在する神との合一ですが、その方法にも種々あるのです、バガヴァッド ギーターでは、「バクティヨーガは神を愛する道(帰依の道)であり、ジニャーナヨーガは智識、哲学の道、ラージャヨーガは瞑想、禅の道である。」 バーラタ(インド)の伝統では、いずれの道を辿ってもヨーガは完成するとされています

 

 またジニャーナ(知識)とは、修練なしの知識を示し、アビヤーサ(訓練)は知識なしの修練を、ディヤーナ(瞑想)とは知識を伴った修練を意味する。修練を伴わない知識は、知識なしの修練よりも優れ、知識を伴った修練は、修練なしの知識よりも優れている。 『バガヴァッド ギーター』(12‐12) 聖賢の教えを学びそして行為(修練)を怠らないものは真我により近づけるのです

 

 

 

 

 健康体操?ボディコンシャス?スピリチュアル?精神修養?どれでもOKです! 但し、チャクラワーク(瞑想)は多元論ではなく、Unity in Diversity (多様性の中の統一) です

 

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダによると 「ダラーナー(凝念)の集中で、ある種の心の波が生じる。これらは他の種類の波に飲み込まれることなく、他の全てが退いてついに消えて行く間に、徐々に顕著になって行く。つぎに、これらの波の数々は消えて、たった1つの波が心に残る。これがディヤーナ、瞑想である。全ての心が1つの波、1つの形になった時、それがサマーディと呼ばれる。」 ダラーナによる波動のワークと瞑想、身体と心の両波によってサーダナへと結ばれるのがチャクラヨガです

 

  ヴェダーンタは、多様性に内在している一なるものとはアートマ タットワ(真我の原理)であると宣言しています。あらゆるものの内に等しく存在する、ただ一つのアートマが存在するだけなのです。多様性という感覚を捨て去り、一体性に到達することで不滅の真我が探求できるのです

 

 

 

 

 

 チャクラワークは、背骨を揺動しながら、自由な舞踏(ダンス)を引き出します。このダンスは最初は大きく伸びやかに躍動し、意念が凝集していけば、小さな動きへ、ついには不動となりそのまま瞑想に進みます。

 

 この動から静へと進む方式は、OSHO和尚(ラジニーシ)のクンダリーニ瞑想と似ています。この瞑想は、前半は音楽とともに気持ちよく身体を動かすアクティブ瞑想、後半は座ったり横になったりしながら、瞬間瞬間に気づきをもたらす、いわゆる通常の静かな瞑想のふたつの側面を、ひとつの技法のなかにとりこんでいます

 

 

 現代人はブッダが教えを説いていた2500年前の人々とちがって、マインドがたいへん忙しく複雑になっています。仕事をし、友人と交際し、パソコンスマホを使い、家族を持っているような普通の人が、座布の上に坐って静かにしても、頭のなかは簡単には止まりません。そういう意味では、チャクラ瞑想は揺らぎと舞踏という遊びを中にふくみながら、マインドを徐々に落ち着かせ、表層の雑念を一掃し、その深層にある「静かに観ている」という自己の本性を浮かび上がらせます 

 

 

 

 

 

 OSHO クンダリーニ瞑想は自発動がその主体と思われますが、流れる水のイメージで硬化した身体をほぐす方法など、チャクラ瞑想の意念催動と類似点はあります。一般公開されているやり方を参考までに紹介しておきます

 

第1ステージ(15分)

 

 ゆったりと立ち、エネルギーが足元から上昇して来るのを感じながら、全身を振動(シェイク)させましょう。身体のあらゆる部分が、手放し状態で開放される(レット・ゴー)のを許し、振動(シェイク)そのものになります。目は閉じても、開けていてもかまいません

 

「振動(シェイク)が起こるままに、まかせなさい。それをやってはいけない。静かに立ち、振動(シェイク)がやって来るのを感じなさい。そして体が少し震え出したら、それを助けるのはいいが、あなたがやってはならない。それを楽しみ、その至福を感じ、それを許し、受け取り、歓迎しなさい。でも意図してはならない

 

もし震動(シェイク)を強いたら、それは一種の運動、体操のようなものになってしまう。その時、震え(シェイク)はあっても、それはただ表面的なものだ。それはあなたに深く浸透してゆかない。あなたは内側では、石や岩のように硬いままだ。あなたは操作する者、行為者のままで、身体はただそれに従っているだけだ。身体が問題ではなく、あなたが問題なのだ

 

「震えなさい」(シェイク)と私が言う時、あなたの固さ、岩のような存在がまさにその根底から震え(シェイク)、それが流動体に、液体になり、溶けて流れるようになるべきだと言っている。そして、岩のような存在が流動体になる時、あなたの身体はそれに従うだろう。その時、あなたが震わせる(シェイク)必要はなく、震動(シェイク)だけがある。誰もそれをしてはいない。震え(シェイク)はただ起こっている。それをしている者はいない

 

第2ステージ(15分)

 

感じるままに踊りましょう。身体全体を、それが動きたいように動かしましょう。ここでも、目は閉じても開いたままでもかまいません。

 

第3ステージ(15分)

 

座るか立ったままで、目を閉じて静止します。あなたの内なるところ、そして、外がわでおこっていること、すべてを黙って目撃し、静かに観照したままでいます。

 

第4ステージ(15分)

 

目を閉じたまま横たわり、静止しています。静かな観照だけがあるでしょう。

 

 

 

 

 

  

 ☆ Big problem of the Meditation     副作用が生じないインナワークメディテーション

  

 

 

    ヴィパッサナー、座禅、マインドフルネスほか  .... 瞑想の基本は不動の姿勢で内面に意識を凝集します、それゆえ困った副作用が現れます。頭痛眩暈多汗不眠などの自律神経失調症で、身体のほてりや不安感が続くなど日常生活にも影響を及ぼします。昔から禅僧をよく悩ましたことで禅病、気功の世界では偏差とも言われています

 

 

 神経システムは交感神経と副交感神経のバランスを常に保とうとしていますが、瞑想は身体活動は不活発で意識のみが過剰活動をするため、そのバランスが乱れやすくなります。つまり "  静中之静  " が過度になれば東洋医学で言うところの陰陽の調和が乱れることになります

 

 

 インナワークを含む瞑想は、不動の中にも動を求める " 外静内動 " であるため、神経システムのバランスが保たれます。瞑想だけではなくポーズや呼吸法の際にもインナワークは含まれます。"  陽の中に陰を求め陰の中に陽を求める "  東洋哲学に合致したメソッドです   

 

 

 

 

 

 

※ 関連ページ ヨガの真実 武芸 コラム 2  8  10  16  

 

 

 

 

  



 

   

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